予定と実践:現在の物質的存在の制約としての淘汰圧
現実という存在には
過去や未来はなく
現在しか存在せず
過去は消え去ったいる
という
物質論的な考えもあれば
現実には
実際に在った過去もあり
記憶に残る現実も現実として存在するという
経験論的な考えもある
そして
こうした経験し記憶されて現実に加えて
予測される現実的未来も存在すると考える
認識論的な考えもある
確かに
過去はあったはずであり
現実的な未来の予定も存在するが
眼前に顕れてはいる訳ではない
考え方を換えると
存在は消え去ったり
また現れたりするのである
物質論的に考えれば
化石がそうであるように
現在は過去の痕跡が存在しているだけで
過去そのものは存在していないし
天気予報がそうであるように
未来はいまだ到来していないので
過去も未来も
現在には存在しない
過去も未来も
意識の中で
現在の存在の制約を受けながらも
自由にその存在している様を変えてゆく
化石生物の復元図は
たびたび描き直され
天気予報も
たびたび最新の情報へと書き換えられる
現在の存在の制約を
強く受けると
現実的で
それが弱いと
夢想的な過去や未来ということになる
この意味で
認識論的存在においても
経験論的過去も現実的未来も
現在の存在との整合性が成立根拠となっている
現在の存在が
現実的過去や未来を
淘汰選択しているのである
この構図は
生命の現実と呼応している
生命は
過去に築かれた生体が
未来を描きながら
現在の物質的存在において淘汰選択を受けている
現在の物質的制約が淘汰圧として
常に生命に働き続け
持続可能性を試し続けているのである