多元論:断絶を連ねる対応関係
「私は生身の身体で空を飛べない」
こんなふうに
飛ぶ能力が欠如していることには不満をもたないけれど
周りの人が皆で英語をしゃべっているにもかかわらず
自分だけ英語を喋れなければ
英語力の欠如を嘆くことになりそうだ
能力欠如に不満を持つか否かは
自律的に決定しているのではなく
周りの影響を大きく受けているらしい
近くに
素敵な人がいると
そんな人に自分もなりたいと
変な理想を抱いてしまい
不幸を感じうることがある
*
こうしたい
こうあるべきだという理想は
できる出来ないという実践としての現実は
常に別次元の出来事だ
理想は言葉からできている動きのない存在であるが
実践は動きそのものだから
その間には断絶がある
この断絶をつなげている対応関係があるから
理想を実現しようと努力したり
実現しては喜び
思想を実現できず不満に思ったり嘆いたりする
「空を飛べなくても良い」という思いと
「実際に空を飛べない」という現実
そして
「誰も飛べる人がいない」という認識も
どこかで連なっていて
空を飛べなくても仕方がないというあきらめも生まれているのだろう
*
言葉とその意味が
綿密に対応関係を築いているから
言語全体に一体感が醸成されている
同じように
理想と実践の間にも
綿密な一体感が醸成されてきているのだろう
在ろうとする姿と
在る姿は別物であるけれど
同じ存在のように調和しようとしている
物質と心の間にも
このような調和が存在してるのだろう
多元的世界が互いに調和しないと
一体として機能しないということなのだろう
機能することにより
持続できる生命などの存在は
調和しなければ崩壊してしまうのだから
安定的調和を模索することが
生命の宿命になっている