予定と実践:予定世界と実践世界の相互反応
設計図は製品の予定であり
製造された製品は
その予定が実践された存在である
夏休みの宿題をこなしてゆく予定表は予定であり
実施された宿題が実践された存在である
予定と実践は
時空を別にして存在しているが
相同なものとして扱われるところがある
生命でいえば
遺伝子と生体は異なりながら相同の関係にある
社会でいえば
道徳とその実践は
異なりながらも相同なものであり
命令とその実践も
異なるものでありながら相同なものとして扱われる
異なるものが相同の関係を持つことにより
両者の間で反応し合い
循環が生まれ
同じことが繰り返されている仕組みが成立している
言葉の世界と
その言葉が表す意味の世界も
相互に相同性をもって反応し合い
同じことを繰り返せるような仕組みとなっている
生命科学の解明してきたところによると
私はDNAではないが
私のDNAと密接に相同性を維持しているということの様である
そして
私とDNAの相互反応の中で私が維持されているので
私のDNAが破壊されれば
私を維持できなくなり死んでしまうということらしい
設計図がなくなると
製品を作ったり修理したりできなくなるのだから仕方がない
しかし
夏休みの宿題となると
なくしてもまた作り直せばよいのであるから
予定通りに実践しなくても気楽なものである
こう考え
いつも夏休みの終わりにたまった宿題に悩まされ
結局できなくて
まず両親に怒られ
先生に叱られた
クラスメートの手前
恥ずかしくても一時のことである
来年はきちんと宿題をやるぞと思いながら
一年たてば
また忘れてしまう
これも
私のDNAに刻まれた予定ということなのだろうか?
人間の作る予定は
他者の言葉により改変されるようにできているらしい
だから
自分の作った予定を堅守するのは至難の業である
「遊ぼうよ」という言葉ひとつで
夏休みの宿題の予定はすぐに変わってしまう