予定と実践:両義性の中で求められる折衷
今在る秩序を維持するために
その秩序の形而上のもとで
様々な形而下が現象している
こうした現状において
その形而下に反する現象は
その形而上の下で淘汰圧に晒される
ギリシア時代のソフィストが主張した
「正義は権力のためにある」と言った言説は
こうした現状に追従するものである
映画「猿の惑星」で描かれたように
人間が支配した世界を覆した猿たちは
人間の覇権を破壊した存在ということで
人間が派遣者であるという形而上からすれば
「悪」なのである
こうした「悪」を淘汰せずに
かえって助長してしまうようなことを人類が行ったが故に
人間の覇権が崩れ
「猿の惑星」が誕生してしまったというのが
映画の主題となっていた
人類の覇権という形而上ではなく
我が国の覇権という形而上が争いを作り
人類の覇権という形而上を弱体化してしまうのである
はたして
社会の覇権という形而上のために
あるいは
私の覇権という形而上のために
それぞれのために
どれほどに私は働くべきであろうか?
滅私奉公という言葉が持つ
仲間への奉仕という賛美と
人権侵害という批難の両義性に
正義を超えた「善」あるいは「美」というものを
求めてみたくなる
正義よりも柔らかく柔軟な
どことなく頼りなく曖昧な
「善」とか「美」を
暑く煮えたぎる「正義」を冷やしてみたくなる