予定と実践:言葉の中の真実と戯れること
カエルという言葉は
真実のカエルではないので
生きてもいないし
死んで腐ることもない
このように
言葉というものは
そもそも真実でない
ところが
それを真実であるかのように扱うところに
人間の醍醐味がある
「カエル飛び込む水の音」と聞けば
「ぽちゃーん」といった風の音が聞こえるような気がする
言葉には様々な表現がある
小学生の夏休みの宿題の絵日記に添える文章もあれば
巧妙な作家の練りに練った冒頭の一節もある
多くの言葉は
真実を語ろうと努力をつぎ込んで生まれてくるのだけれど
中には
人を欺くために努力をつぎ込まれて生まれてきた言葉もある
言葉というものは
そもそも真実ではない
どの様な努力が注がれているのかを
感じ取らなければならないだろう
プロポーズの言葉
選挙の公約
騙されまいとして
本当であるのか
嘘であるのかを見極めようとするのであれば
どんな気持ちが込められているのかを斟酌した色眼鏡とかけれ
見なければならないだろう
しかしそれでは
人間の醍醐味は素直に味わえないだろう
「蛙飛び込む水の音」が
古池から沁みるように聞こえてくるためには
色眼鏡のない澄んだ心が必要である
言葉は
現実から離れ
どこか別の世界を漂わせてくれる
その世界に彷徨う間
その世界の真実が
真の真実として心を捕らえてくれる