ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

トリプルワールド76


意識と手や足は
どのようにして
刺激と反応の関係を維持してきたのだろう


なぜ維持できているのだろう


意識も
手も
足も
もっと自由に独立した存在として
存続する可能性もあったろうが
互いに
強く共役する関係を保持している


この不思議な関係がないと仮定するならば
手や足や意識が
それぞれ独立している存在として
思考する必要がある


手や足から独立した意識
意識から独立した手足を
どのように考え
どのように語るべきなのか?


身体という全体の中の部分として
意識や手足が存在するのか?
それとも
意識や手足が存続するために
身体という全体があるのか?


社会から孤立し
独立した自由な個人


利己的な関係と
利他的な関係が
結ばれれば結ばれるほど
部分は全体に取り込まれ
部分の独立性を失ってゆく


利己的な反応も
利他的な反応も
過去と未来を結ぶ点であり
未来は反応の目的である


共通の目的に向かう反応を
集積させる主体が
世界の中心に想定できる


目的は
世界の存続であり
そのための手段が
世界の部分を構成している


手足や意識は
手段であり
それぞれの手段の目的のために特殊化してきた


このような特殊化を推進する力と
それを組み合わせる力が
進化の歴史を推進してきた


進化の目的は
存続だ


手段を形成する技術が試され続けている


セカンドワールドの主体内での
濃密な刺激と反応の関係を維持する技術も
サードワールドの主体間の
比較的気まぐれな刺激と反応の関係を維持する技術も
実践の中で試され続けている


目的から切り離された技術は
試す機会を失うということだ


試すことで存在している技術


試され続けることで
存続している技術


その最たるものとしての
技術の結晶である命


生命は反応の技術の芸術だ

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