ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

予定と実践:べきである星人の進化


べきである星人は
「・・・すべきである」と考えると
それをとことん実践する


決められた予定を
ことごとくその通りに実践しなければ
気が収まらないのだ


それほどまでに
「べきである」という言葉を愛しているのだ


さらには
それを
他人にも押し付けてくるから
たちが悪い


ともすれば
自分には甘く
他人には厳しく
「・・・すべきである」と説教してくるようでは
なおさらに
たちが悪い


「べきである」という言葉を
自分よりも
他人よりも
誰よりも愛してやまないのだ


言うなれば
その言葉を神のように崇めるのだ


そんなべきである星人であるから
べきである星人同士の間では
争いが絶えない


「・・・すべきだ」
「いやなに
 〇〇すべきじゃないか」
「いや
 ・・・すべきだ」
「そんなことはない
 〇〇すべきだ」
「何度言ったらわかるのだ
 ・・・すべきに決まっているじゃないか」


結論しか持ち合わせていな議論が
べきである星人の十八番だ


だから
べきである星人同士を直接対峙させてはならない


どうでもよいと考えている
どうでもよい星人が
べきである星人を取り囲んでいると
べきである攻撃の緩衝地帯が出来上がる


それでも
どうでもよい星人も
べきである星人に対して
どうしても我慢ならなくなることがある
そんなことが重なると
どうでもよい星人は
次第に
聞き流し星人に変遷する


それでも
聞き流しても
聞き流しても
べきである星人の必要な攻撃にさらされると
聞き流し星人も
いつしか
新たなべきである星人に変遷し
旧態のべきである星人に大事することになる


哲学の歴史は
このような変遷ではなかろうか?


だから
悪妻をもらうと哲学者になれるのだ


科学の世界も似たようなところがある


権威があり
その権威が「べきである」を形成し
そこを中心に活動がなされる


その権威を打ち破るブレークスルーを
科学は待ち望みながら
日夜新たな発見にいそしんでいる


「べきである」という言葉が持つ
因果律を誘導する力を追い求め
べきである星人は進化を続けている


頑迷なべきである星人が滅び
新たなべきである星人を誕生させながら
べきである星人が進化するのだ


べきである星人は絶えずして
しかも
元のべきである星人にあらず
ということのようだ


「しかじかに考えるべきである」


自分で考えるだけなら
「べきである」という言葉をつけなくてもよい


そう考えると
「べきである」は
言葉が誘導する因果律を拡散させようとする言葉と
考えられる


考えてみれば
命は
それぞれにそれぞれらしさを表現している


それぞれらしくあるべき存在であり
それぞれの「べきである」を大切に維持している


私も
私らしくあるべきであるという呪文の中で
私らしさを維持している


それが良いのか悪いのかは二の次であるかもしれない


良かれ悪しかれ
それぞれの「べきである」を実践し
今生きている生命は
己を維持できている


維持できていることで
「べきである」が承継されていく


自然選択は
「べきである」の勝利の証であり
自然淘汰は
「べきである」の敗北だ

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