予定と実践:予定調和が生む合目的な愛の調和
言葉の意味が通じると思いながら
言葉を発するように
膵臓のランゲルハンス島にあるインスリン分泌細胞は
きっと
肝臓の細胞が糖を取り込み血糖値を下げてくれると思いながら
インスリン分泌しているに違いない
膵臓の細胞が
肝臓の細胞のことを
実際には思うことはできないのであろうけれど
肝臓の細胞が
インスリンに対してどう働くかを予定していなければ
インスリンの分泌という実践は
「血糖値を下げる」という目的に基づく実践ではなく
単なる徒労ということになる
合目的性の確保のためには
肝臓の細胞を思っているような愛がなければならないのである
膵臓で
血糖値が上がるとインスリンを分泌するという実践と
肝臓で
インスリンが来ると糖を取り込むという実践が
事前に調和的に予定されているのである
言葉を換えると
予定調和が
膵臓や肝臓に組み込まれているので
血糖値の調整が可能となっている
ということが出来る
こうした予定調和が
愛を育み
こうした予定調和が
膵臓と肝臓を一体性のあるものにしているのである
このような予定調和が
身体にあまねく張り巡らされ
身体の強固な一体性が創造され維持されている
空気中に存在している炭素や水素と異なり
身体を構成している炭素や水素は
予定調和が奏でるで結び付けれているのである
空気中の炭素や水素は
自由であるが
身体の炭素や水素は
予定調和の渦の中に存在し
その運命はその渦の中で決せられてゆくのである
こうした愛の運命に身を任せ
インスリンは
膵臓を旅立ち
肝臓にたどり着く
インスリンは
本当は
膵臓のことも
肝臓のことも知らないのだろうが
その合目的性において
膵臓のことも
肝臓のことも
きっとよく知り尽くしているのだろう