予定と実践:多様性がもたらす徒労について
夏
殺しても
殺しても
湧いてくるショウジョウバエにうんざりする
ちょっと油断して
生ものを処理し忘れていると
たちまち増殖し
ゴミ箱の裏に
数えきれないくらいたくさんの蛹の抜け殻が
所狭しと並んでいる
ショウジョウバエにしてみれば
勝利の勲章なのだろうが
それを片付ける私は
「生ごみをもっと早く
部屋の外に捨てておけばよかった」
と後悔する敗者である
敗者ではあるが
殺されはしない敗者である
その敗者が
ショウジョウバエに殺虫剤といる武器を手にして
敵を討つ
ショウジョウバエはただ逃げ惑い
やがて死骸が散乱する
これを
鼻歌交じりに掃除機で吸い取り
ごみ箱に捨てる
しばらくすると
また
私は生ごみを捨て
そこにショウジョウバエがやってきて
大量に繁殖する
夏の間
これを繰り返す
このような闘いは
ショウジョウバエにとっても
私にとっても
徒労ではなかろうか?
それでもそれを繰り返す
きっと
繰り返される徒労に価値があるのだろう
徒労をするために徒労を重ねるのである
殺虫剤の缶が空になり
食べ物を買うついでに殺虫剤を買う
徒労を繰り返すためには
費用も掛かる
それでも
だらしない私は
生ものをすぐに処理をせず
またショウジョウバエを養い
殺虫剤を買う羽目になる
この私のだらしなさが
我が家のショウジョウバエの命綱となっているのである
この私の不完全性を
ショウジョウバエは賞賛してくれているのだろうか?
いずれにしても
この不完全性が
多様性を維持する一つの重要な要因となっている
逆に言うと
完全であることで多様性を損ねてしまうのである
もっと様々な徒労を
不完全性の中で養ってゆかなければ
豊かにはならないということなのだろう
それにしても
室内には
ショウジョウバエは居ない方がよい
私の空間には
私の思うところで完結してもらいたいものである
多様性などいらない
私の好いたもので満たすのである
戦争も
こうした思いから始まるのだろう
そして
回線と停戦を繰り返し
共に存続し
多様性を維持してゆく
だらしのない徒労と
だらしのない徒労が
自らの不始末を嘆きながら
あるいは
自らの不始末を棚に置きながら
戦い続けてゆくのである
こうした
だらしのない徒労の中で
自然の豊かさが維持されてゆく
なにか
覇権的な強力な存在で
この豊かさが損なわれてゆくまで
だらしのない徒労が
美しく続いてゆくのだろう