予定と実践:循環の中の自由と制約
水が大気の中を循環しなければ
雲も湧かない
水の循環の一部として雲は存在するのである
私の身体にも
水は循環している
炭素も
酸素も
水素も
私の身体の中に在る有機物として循環している
これらは
やがて
吐息や汗や糞尿として
私の体外に排泄され
大気中を循環するだろう
雲になるものもあるだろう
雲や私の身体は
物質が滞留するたまり場である
循環する途上の宿屋のようなものなのだろう
してみれば
私の宿屋の主人であろう
お客を内蔵へと送り込み
逗留に飽いた頃
送り出すのである
雲と私の違いは
雲が圧倒的に自由なところである
雲はその時々で自由に形を変えてゆく
夏には夏の入道雲になり
秋には秋の鰯雲となった現れる
それに比べて
私はいつも同じである
入ってくるものを一度分解し
きちんと私なりの物質へと合成し直すのである
その過程は
がんじがらめに制御され
自由は極力封じ込められ
私が私であり続けるように工夫がされている
私は私を形成する物質たちの専制君主なのである
くたびれた物質は
容赦なくこの王国から追い出す専制君主なのである
この専制により
各組織が
相補的に機能し
全体が整然と維持されている
先生に反逆することは許されず
反逆など考えもしない部分に支えられ
私は維持されているのである
そんな私が
私の外に向かい私の自由を主張する
叶う自由もあれば
叶わぬ自由もある
私の外の世界には雲のような自由がある
その自由の中を
私は漂う