予定と実践:前例踏襲がもたらす慣習の力
前例踏襲するということに
善悪は無縁なところがある
善悪を考える前に
前例を参照してしまうからである
もしかしたら
善悪を考えるのが面倒で
前例を踏襲することもあるだろう
たとえ
その前例が悪てあっても
前例があり
罪に問われていないということになれば
どことなく
その悪は許されていると
勘違いさせてくれるところがある
こうして
前例踏襲は
善悪について思考停止をもたらす傾向がある
いやむしろ
前例踏襲が
悪を善に変えてゆくのではないかとさえ思えてくる
前例踏襲を繰り返しても
丸く収まっている
この状態において
前例は善と判断されてゆくのである
牛を食べることは善であり
鯨や犬を食べることは悪であるのも
こうした前例踏襲がもたらす慣習の力である
生きていることも
前例踏襲による慣習である
なるほど
生きれば生きるほどに
生きることは良いことになるということが
前例踏襲が善を導くことの証左となろう