ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

予定と実践:自己中心主義と言語中心主義の葛藤


複雑で繊細な言葉を持たない動物たちも
きちんと生きている


動物たちは
そんな言葉はなくても
生きてい行ける能力を持っているのである


これに引換え
人間は言葉に使い生きている


むしろ
言葉に頼り切って生きているとさえいえるのかもしれない


言葉を失い
本能と感情で生きてゆく自分を想像してみる


きっと
今よりも持った自己中心的になりはしないだろうか?


言葉が他者を連れてきて
自己中心的な自分をたしなめているからである


いや
言葉を失っても
他者を思いやる感情があり
その感情が自己中心主義を緩和し続けるのではないだろうか?


まてよ
そうした感情も言葉により
増幅されたり
緩和されたりしていないだろうか?


こうして
言葉を失った自分について
言葉を用いて考える


言葉がないと仮定して考えるにしても
思考の中心には言語があるらしい


言語中心主義である


この言語中心主義は
言葉を学習する過程でどんどん大きくなり
思春期に
この言語中心主義と
自己中心主義の葛藤が大きくなり
不安定な心持を増幅していたような気がする


大人になり
言語中心主義が
自己中心主義を抑え込むのがうまくなり
理想という名の嘘を平気でつけるようになったやもしれない


こんなことを考えながら
夕べ露天風呂に浸かっていた


上弦の月を
静かに雲が隠していった


私の心の中にも
様々な天体があり
それぞれの軌道を描いているらしい

×

非ログインユーザーとして返信する