時間と存在:存在は制限の中に在る
時間の断面の一点に
今の私がいる空間がある
この時空の一点は
私であることもでき
あなたであることもでき
木であることもできたが
今は私がいる
空気であったり
海であったりもすることが出来ただろう
やがては
月であったり
火星であったり
太陽であることもできるのだろう
この様に
なんにでもなれる時空の一点も
実際には
今在るもので占められており
他の何にもなることはできない
全てになり得るが
全てになることはできないのである
存在するということは
このように
他の存在ではないということであり
潜在的可能性を
著しく制限された状態なのである
時空ばかりではない
言葉も
言葉として何かが存在していると
その存在は
他の言葉ではないのである
「全て」という言葉があるところには
「一部」は無くなっているのである
花は「花」にあり
蜜は「蜜」にあるのである
花の中に蜜があるためには
「花の中に蜜がある」としなければならない
こうした定義がなければ
「花」と「蜜」は結ばれないのが
純粋な言葉の世界である
「蜜」という言葉に
ミツバチは誘われないのである
ここに言葉の自由がある
「蜜」に
ミツバチばかりではなく
オオカミを引き寄せることも
言葉の世界では可能なのである
「蜜の匂いに誘われて
オオカミがやってくる」
と定義すれば
言葉の世界では
蜜にオオカミが寄ってくることになるのである
これは
経験主義的な現実からは乖離した話で
嘘ということになるのかもしれない
この嘘が存在するところに
言葉の潜在的広がりがある
なんにでもなり得る時空のように
言葉の世界の一点に
嘘と呼ばれるものも存在し得るのである
こうした言葉の世界の一点を吟味し
現実的な言葉を選び出し
現実的な世界を
言葉の世界に作り出すところに
人間の意識の働きがある
言葉の世界から
嘘を排除して
時空と密接に関連した現実的な世界を創造しているのである
しかし
葉の世界は時空ではないので
現実的であって現実ではないところがある
そこの夢がある
新たな発見があるのである
そして
嘘も方便というように
幸せな嘘もまかり通るのである
人間が
言葉に魅せられるのは
現実よりも
言葉の世界が優しいからかもしれない
厳しい現実にあっても
言葉は優しくありたいものである