時間と存在:ちっぽけな時間に息づく悠久の時間たち
私が生きている時間は
とてもちっぽけな時間なのだろう
このちっぽけな時間に
私は生を受けた
私は
突如として生まれたのであるが
私の存在は
それ以前から続く系譜に連なっている
古くは40億年前にも遡るのだろう
私は突如として生まれたのであるが
唐突に生まれて来たのではない
私の手も
私の足も
トカゲのそれとどこか似ているのは
過去に遡れば
私とトカゲもどこかで連なっていたからに違いない
背骨があって
頭蓋骨があって
腕があり指がある
私とトカゲは同等の構造を持ち合っているのに
同じ生き物でも
カタツムリにはそんな構造はない
この意味で
私とトカゲは
特別な関係で連なっているのである
仲間なのである
この仲間から外れにされたカタツムリにも
私と同じような神経があり
感覚器がある
視神経の微細構造は
共通しているらしい
骨や
神経など
便利な存在は
時間を通じて保存され
再利用され続けているのである
こうした
再利用の系譜の一環として
私が存在している
私は
突如として生まれたが
突如として存在したのではないのである
良いものを寄せ集め
生き延びて来たのである
心地よいフレーズを寄せ集め
素敵な音楽に新たな命を吹き込まれるようにして
わたしは生まれてきた
私は
ちっぽけな時間を生きている
しかし
ほんとうは
もっともっと大きな
悠久の時間の中を生きてきたのである
私の実力のほとんどは
私の努力ではなく
拝借して来た既成の実力なのである
手を見ても
足を見ても
私は私の努力以外のところで
大きな力を発揮している
私の努力は
とてもちっぽけなものである
それでいて
生きていられるのであるから
私は幸せである
私は
何の科学的発見や発明をしていない
それでも
科学の恩恵を受けている
ありがたく幸せなことである