主体と客体:動物の発生や刺激反応系を維持する実存
オタマジャクシは カエルになるように コミットされている オタマジャクシとしての実在でありながら その内部に カエルとしての実存を隠し持っているのである そして その実存を 成長の過程で開花させてゆくのである 同じように やさしさをいつも持っていても そのやさしさを現実にさらけ出すのは 限られた場... 続きをみる
砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。
オタマジャクシは カエルになるように コミットされている オタマジャクシとしての実在でありながら その内部に カエルとしての実存を隠し持っているのである そして その実存を 成長の過程で開花させてゆくのである 同じように やさしさをいつも持っていても そのやさしさを現実にさらけ出すのは 限られた場... 続きをみる
主体であるということは 主体の外にある客体と向き合うことである 主体的であるということは 外部を持つということにもなる 外部は 主体からすると 御しがたい存在として評価している総体である 主体としての私の意識は 平生 私の右手左手を御しやすい内部と捉えているが 思うように動かないとなると 思うよう... 続きをみる
目の前にヘビがいた時 主体としての私の視覚は ヘビを客体として捉えている しかし よくよく考えてみるに ヘビから反射されてきた光は 私の網膜を刺激しているのだから その光にしてみれば 私の網膜は 客体なのである すなわち 私に向かってくる光に 受動的に 支配されてこそ 私の視覚は 目の前にある光景... 続きをみる
事実は 瞬間瞬間に現れるものであるけれど 秩序は 時間の経過の中で維持されるものである 思うに 秩序は 選りすぐられた事実の積み重ねとして 評価されるものなのである 秩序を主体としたとき 選りすぐられた事実は客体なのである 言語体系があり それを覚える人々により その言語体系が維持されている なぜ... 続きをみる
交通法規という主体の中で 私は それに従う客体として車を運転する すれ違う車や 信号待ちしている対側の車の運転手たちも それぞれに 車を主体的に動かすと同時に 交通法規の客体として交通安全を心掛けている こうして 運転者が交通法規の客体となっていることで 私は安心して車を運転できているのである そ... 続きをみる
事実は「今」にしかない 「今」が過ぎ去れば 「今」であった事実は過去となる 過去は 記憶の断片であり 評価である 一瞬前の雲の姿は 今とほとんど変わり映えはないのであるが 違うのである この違う姿は記憶の中に在るようでいて無い 過去はこのように 記憶能力の良否によりその形を変えてゆく評価なのである... 続きをみる
「人生の目的は何か?」 と議論することができる チョウは蜜を吸うために生きているところがあり そのために ストローのような口を有している ミツバチは蜜を集めるために生きているようなところがあり リスは木の実を集めるために生きている様子である 人はしゃべるために生きているようなところがあり 「人生の... 続きをみる
事実は時間の断面として認識されうるが 評価は時間の経過の中で現れる そうした評価を 文字として 時間軸のいかなる断面においても成立せしむる努力のすえ 道徳論やら正義論なるものが生まれて来た 昆虫の生きざまもまた 時間軸のいかなる断面においても生存できる工夫の集積として 生まれて来た 如何にして生き... 続きをみる
事実はその時その時に存在するのに対して 評価には時間の経過において成立するところがある 評価は それが在ることにより 後の時間にどのような変化をもたらすかに依るからである 植物の毒や針の存在意義も 動物たちの捕食に晒される十分長い時間ののちに現れることになる 中国で蝶が羽ばたくとその影響が 次から... 続きをみる
植物は 毒や針を持ち 食べられてしまわぬように工夫を凝らしている 皆が平和に暮らしていれば 毒や針を持つなどという非効率なことをせず 健やかに成長するだけでよいのだろうが そうはいかないらしい 植物たちが信仰する神様がいたのなら 植物を食べようとする動物を支配して 植物を食べないようにするのだろう... 続きをみる
今にも干上がらいそうな水たまりに トンボが産卵している こんな姿を見ていると トンボには生への執着があまりないように感じてしまう もっとよく観察して 干上がりそうであれば そこでの産卵をやめればいいのにと 人間の立場から 思いやるのである こう考えると 人間はいかにも生へ執着している生き物らしい ... 続きをみる
プライドは 自己に対する評価の一つである イソップ童話『樫の木と葦』にあるように 自らの硬さを誇る者は その硬さゆえに折れてしまうことがある 葦のように 逆境を自らを曲げながらやり過ごすしない強さも 時には 必要ということだろう 道路の右を歩いている人がいるとして 右側にがけ崩れがあれば そこだけ... 続きをみる
水平線の向こう側を見ようとして 想像を連鎖させてゆく 見えるところの現実を観察し その推移を記録し 現実の成り立ちを評価する こうした評価を統合し これから起こるであろうあれこれを想像してゆく 水平線の向こう側も こうした評価に基づく想像として 眺めることが出来るのである それは事実ではないが も... 続きをみる
想像が連鎖する これから展開してゆくであろう未来に 恐れおののきながら 何とすればよいのかを思いめぐらせながら 眠れない夜を過ごすことがある 想像が連鎖する これから展開してゆくであろう未来に 夢と希望を膨らませ 控えめな微笑みを浮かべ 目を細め 白日夢に浸る 想像の連鎖の中で 現実は勢いを削がれ... 続きをみる
同じ景色を見ても 人それぞれに違う感情を湧き上がらせる 典型的な例として スポーツ観戦がある 味方チームの勝利と見る景色と 味方チームの敗退とみる景色が 勝敗の刹那に混在している 勝利あるいは敗退と言った評価は 客観的に存在しているのではなく それぞれが主観的に創造する産物なのである 我々は それ... 続きをみる
見ている景色のあらゆるものに 評価をつけてゆくことが出来る 見えている塊りの一つ一つに 名前を言い当てることも評価であり その塊の利用価値を語るのも評価である 名前のない塊に対しても 何となれば 勝手に名前を付けることもできよう 景色を眺め 評価である視覚を さらに 文字の評価へと変えてゆくのであ... 続きをみる
夕日が沈む様子を眺めている脳は 景色に支配されている 太陽が沈むと 脳の中の太陽も沈むけれど 脳が太陽をもう一度昇らせようと頑張ってみても 夕陽は沈んでゆくばかりである 絵を描こうと眺めている脳は キャンパスを支配している 日の出の絵を描いた画家は その太陽の位置を任意に動かすことが出来た 景色は... 続きをみる
見ているものは視覚の中にはない 視覚は 見えているものの幻影としての評価である 視覚は 実像ではなく虚像である と 表現することもできるだろう レンズの向こう側に実像があり レンズのこちら側に視覚としての虚像があるのである 聴覚や 臭覚 触覚や味覚も 実ではなく虚としての存在である そんな虚ろな存... 続きをみる
評価しようとする機能は評価対象を求める たとえば 目は見るものを求め その見えているものは何かを考えるべく意識は 視覚映像を求めている 見ているものが何かがわかると その意識はその視覚映像に興味を失い その横にある事実に新たな興味を捜し始めるのであるが 見ているものが何かがわからないということにな... 続きをみる
感覚は評価である 暑い寒いは 気温を評価したものである 痛い痒いも 皮膚の状況を評価したものである 視覚も 光の具合を評価したものであり 聴覚は 空気の振動の状態を 臭覚は 空気中の成分の状況を それぞれ評価したものである 美味い不味いは言うに及ばず 甘い辛いも 食べ物の成分を評価したものである ... 続きをみる
野球中継の解説で 「結果論ですけれど」という言葉をよく聞く こうした結果論の集積で 「何をすべきか」という未来思考がなされてゆく これが経験である こうした試合経験のみならず 日ごろからの練習により 「何をどうすれば良いのか」ということを 体得し 野球選手は成長してゆく 「何者であるのか?」の一つ... 続きをみる
善悪は結果論の集積としての経験論である したがって 行うことが違うと 異なる結果論が集積されてくる 具体的に言えば、、、 ワニの行動と 人間の行動は異なる これが ワニの善悪と 人間の善悪の違いとして集積してゆくのである こうして 似通った行動をするワニ同士の間では 同じような... 続きをみる
善悪は評価であり 事実ではない 過去がもたらした因果応報の結果が良ければ それは善であり 過去がもたらしたい因果応報の結果が悪ければ それは悪である 戦いの勝者が善であり 戦いの敗者が悪である そんな過去に対する評価が 善悪を創り出し それが承継されてきた そして それを一般化され 明文化されるか... 続きをみる
史実として ニホンオオカミは絶滅した 神様が ニホンオオカミを罰したのだろうか 人間のわがままが ニホンオオカミは絶滅させた そう考える方が普通であろう 絶滅ということだけを考えれば オオカミに正義がなかったのではなく 人間に罪悪があったと考えられる しかし オオカミは人間に悪さをした だから オ... 続きをみる
小川のせせらぎは善であり 鉄砲水は悪である 水の動きは 善でもあり悪でもある 過ぎたるは猶及ばざるが如し 無ければ困るが ありすぎるのも困る 困るのが悪で ありがたいのが善である 都合が良いのが善であり 都合が悪いのが悪である この考えは わがままと同じである 所詮 善悪は利己主義にも起源する俗な... 続きをみる
どんな生物が繁栄しようが 地球にとっては尾ひれの問題なのだろう こういった視座に立てば 良い生き物も 悪い生き物もない 悪行も 善行もない しかし 生きている本人にしてみたら 自分が生きていなければ 地球が存在しようがしよまいが どちらでもよい問題なのである 地球の立場と 生き物の立場で 主体と客... 続きをみる
神仏がいるとしたら 人間の全てを許してくれるだろう 自然は生きとし生きるものの あらゆる過ちも許してくれるだろう しかし 人間は神仏や自然のようにはいかない 心が狭いからである そんな心の狭い人間が 神仏に正義や罪悪を語らせる 人間が 神仏のゆったりとした心を 人間の言葉で狭苦しくしてしまうのであ... 続きをみる
法律や正義は 「他人を律するためにある」という考えがあれば 「自らを律するためにある」という考えもある それに加えて 「他の正義を否定するためにある」とも 「悪を創るためにある」とも考えられる また 「弱者を助けるためにある」と考えることもできる どの様に考えるかで 法律や正義の使い方が変わってく... 続きをみる
注意深く隠された裏の顔が暴露され 有名人が炎上することがある 有名人ではなくとも 隠しておきたいことが暴露されると 人前に出たくなくなるのは 人間の至極当たり前の性向である 隠しておくことには 隠しておく動機があり 「悪さをした」との認識があるからである 「悪さをした」とまではいわなくとも 「褒め... 続きをみる
我慢する善と 我慢しない悪が混在すると 不公平が問題となる だから 我慢しない悪があると それを注意深く隠さなければならない 隠しきれないと 「わきが甘い」ということになる 悪い事を我慢できずにする場合には 顔を隠して身バレがしないようにするのは このためだろう 権力者ともなると 配下の者に悪い事... 続きをみる
幸せと正義が一致していれば 世の中は平和で 思い悩むことも著しく減るだろう 残念ながら 一致していないので 幸せな悪があり 不幸な善に満ち溢れている やりたいことを我慢しながら 平穏が保たれているのである 不幸な善により維持されている平穏を破る 幸せが善の誘惑に負けたものが 悪へと道を踏み外すので... 続きをみる