妄想と現実:「限界突破」という言葉が持つ矛盾について
とある高校に
「限界突破」という標語が掲げられていた
如何にも若者らしい熱意のこもった標語である
この熱意に水を差したいわけではないが
この言葉に矛盾を感じてしまった
突破できないから「限界」なのに
それを突破するというのは矛盾ではなかろうか
「限界」という言葉の定義を否定するような熱意があって
「限界突破」という標語が成り立っているのである
これは
言葉尻をとらえた論理学的な議論である
論理が普遍であるためには
現在も未来も同じでなければならない
この普遍性を追求した論理学においては
現在の限界も
未来の限界も同一でなければならいから
「限界突破」はできない
と
理論的に考えなければならないのである
しかし
現実には
限界が変わってゆくのである
普遍性が崩壊してゆくのである
若者は
普遍の中に佇んでいてはだめなのである
論理学の檻の中にいてはだめなのである
「限界突破」してこそ
新しい論理が生まれ
飛躍することができるのである
AIの世界は
「限界突破」が次々と起こり
スマホの性能はどんどん向上している
それを使いこなせないのは
私が「限界突破」が出来ずに
ただ現状に佇んでいるのである
こんな私が背景に在り
「限界突破」に矛盾を感じたのであろう
「限界」は
突破できないから「限界」なのであり
突破しようとしないから「限界」なのである
日新玄ぽのスマホに向かい
私の平穏を求める宗教心が揺れている