ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

意識と時間:百聞は一見に如かず

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「むかしむかしあるところに、、、」


文字である記号が

今ではない昔を今であると規定しようと企み

その結果として

この記号に晒された意識が

「今は昔なんだな」と考える


数式に無理やり変換すると

「今」=「昔」である


記号の中の世界だからこそ

この等式は成り立つが

現実の世界では

「今」は「今」でしかなく

その「今」もすぐに過ぎ去り

「昔」になってしまう


だから

「今」と「昔」は同時に存在することはない


ところが

意識の中では

「今は昔」と意識すれば

「今」という現実のなかで

意識は「昔」の時間を思うことになる


意識の中の時間は

定義の対象なのである


今を昔と定義すれば

今は昔であり

今を未来と定義すれば

今は未来なのである


こうした意識の定義の中にあって

「感覚は現実をもたらすものである」

という定義がちょうほうされており

感覚に基づく定義は

現実的な定義として

現実を愛する意識は

感覚がもたらす「今」に敬意を払い尊重している


百聞は一見に如かず


この言葉に同意する意識は

現実を愛しているに違いない


それにしても

愛というものは恐ろしいもので

愛するがゆえに

愛の対象を思いのままに操りたくなるのも

また

意識である


愛すると

愛されたくなる


より強く愛すると

より強く愛されたくなる


この愛の地獄の中で

時に現実を恨み

自らの至らなさを蔑むことになる


百聞は一見に如かず


なるようにしかならないものを

思うがままにあらせようとするから

思うがままでない現実を見るにつけ

意識の中で行き来する百聞が嘆き悲しむのである


現実と意識の間には齟齬がある


時間も

空間も

物質も

意識の中では定義である


「わたし」も意識の中の定義である


その定義が

現実との齟齬を悲しみ

乗り越えようともがいている

ありがとうございました

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