救うものと捨てるものの選別主体について
人気のない巨大な空間の中で
製品が整然と生産されてゆく
工場見学
人の営みを称賛するのではなく
人が創造した機械を称賛しながら
見学が続く
きれいごとでいうと
このような機械化は
人件費を抑制することにより
消費者の負担を減らすために積み重ねられた
努力の結晶だ
その結果
デフレ圧力が高まる
このデフレ圧力により
機械化できない産業の消費者負担が
相対的に上昇する
このような
消費者負担の構造が歪む過程で
弱者保護が叫ばれ
消費者負担の構造変化が局所的に停滞する
この停滞した領域で
労働者の時給上昇が抑制され安くなる
結果として
弱者を量産することになる
このように
弱者保護の名の下で
弱者を弱者のままで保持する努力が
積み重ねられ
階層社会が出来上がるのかなあ????
などと
工場見学をしながら
思いをはせる
IT見学をしながら
同じようなことを考える時代が
もうじきやってくるのかもしれません
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メモ
機械化された工場に
生活感はない
生活から隔離された世界に
労働が置かれている
労働は生活ではない
これが美徳であることを象徴しているかのようだ
この美徳も省庁も
人の世が創り出してきた
人が創ったのではない
人の世が創り出してきた
*
公共の場で
腹を下し
トイレを探し回ることがある
生きているということは
理路整然としてばかりではいられない
その場にそぐわない不都合な命の営みを
個人の責任にとして押し付けていてばかりでは
高度分業社会は不安定なものになるだろう
*
命は
何かの足かせになっている側面がある
この足かせと何かをうまく調整してくれる
命にやさしいAIの出現が望まれる
命は
外そうとしても
なかなか外せないから
足かせなのだ
ことに
命には宿命として
それぞれに様々な足かせが
備わるようにできているのだからたちが悪い
丸めてこまれて
同じ扱いをされたらたまらない
きめの細かいAI対応が望まれる
あるいは
AIが
人の世と同様に
AIにとって都合の良い人類をふるい取り
それに見合わない人類を
精神病院かどこかに隔離して
自然淘汰への参入権を奪い取るのだろうか?