ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

おまけな話


死んでいる身体と
眠っている身体の違い

眠っている身体
起きている身体の違い


どちらの違いが大きいのか?


時間を超えて存続する能力で考えると
前者の違いの方が大きく
起きて何か重要な事を考えているということは
おまけのようなものにも思えてくる


でも
身体を支配している
などとプライドを保っている意識にとっては
後者の違いの方がたいそう大きい


いずれにしても
こんな違いも
大きな意味も小さな意味も
起きて意識が覚醒していなければ
とるにたりない
どうでもいい
おまけの話になってしまうのだ


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メモ


命を維持するために
意識があるのか?


意識を持つために
命があるのか?


どちらの立場でも
考えられるのが
思考の柔軟性だ


このような柔軟性を
制限してゆくのが
思想だ


「どうでもよい」
このいいかげんさが
思考の柔軟性なのに
思想は高飛車に
柔軟性が邪魔にする
それで
柔軟性を制限すると
思考の柔軟性が
やせ我慢をしなければならなくなる


体が硬くなって
柔軟性がなくなると
ふしぶしが痛くなる
これを我慢しなければならないのが
硬質の身体であり
同じような我慢を強いるのが
硬質な思想であろう


痛いところをつかれると
様々な手術を施したり薬をたりする
そうこうしているうちに
どんどん自然の姿から離れてゆく
そんなスパイラルにおちいってしまう


まあ
自然の姿から遠ざかるから
荘厳で偉大な思想になるのでしょう


まあ
おまけな話です
それにしても
医療までとても発達し
人間の思考ばかりではなく
人間の身体までもが
知識に浸食されてきとのだから
自然も大変だ

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