ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

能動的反応:学習と研究と実験と


学ぶということは
個人が社会に追いつこうと頑張ることだ


個人が社会を追い越そうとすれば
それは学びを超えた研究だ


研究は実験を伴う


実績を踏襲するのではなく
従来とは違う何かをやれば実験だ


一般的に
学習とうまくかみ合った実験は
素晴らしい研究となりうるが
学習のない実験は危険を伴う


毒キノコか
食用キノコか
実際に食べて試すのは
学習のない実験だ


さて
猫が臭いを嗅いで
食べれそうか食べれなそうか
吟味をしている


この猫は
臭いと餌の関係を学習しているから
吟味ができるのだろう


ここで
何時この猫が
臭いと餌の関係を学習したかが問題となる


生まれてからのものもあるだろうし
生まれる前から備わっている学習成果もある


人間にも
生まれもった学習効果が備わっている味覚や臭覚がある


加えて
雨の日は憂鬱になり
晴れの日は晴れやかな気分になったりもする


蛇は生まれつき嫌いだし
猫はかわいいと思っている


これらの多くは
生まれる前の学習の成果だ


好きな異性に好みがあったり
異性ではなく同性に魅かれたりする


生まれもったものに文句を言っても
そうそう治らないけれど
あんまり不便だと
をれを何とかしようと実験をして
実験の成果で不都合な学習性を克服したくなる


生きるということは
学習し
実験を重ねてゆくことだ


実験は
うまくいけばめっけもので
ダメでもともとのところがある


高等動物は
下等動物を眺めながら
「もっと勉強してうまく立ち回ればいいのに」と
自分は高等で威厳に満ちているなどと威張ったりもするのだけれど
もっともっと高等な動物から見れば
「もっと勉強してうまく立ち回らないと危なっかしい」と
思われている生き物だから
実験を重ねて
もっと高等で威厳に満ちた存在を目指してみたりする


うまくいけばめっけもの
ダメでもともと


それを繰り返しながら命が紡がれてきた


能動的反応の連続的反復だ


一般に
社会は高等で
個人は下等なのだろう
だから
社会から学ぶことが人間には沢山ある


社会から見れば
私はいつまでも危なっかしい存在だ


それはそれでよいのだろう
自分を研ぎすまし究めてゆくには
危なっかしく試し続けるより仕方がない


危なっかしいのは生きている勲章でもあるだろう

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