ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

権力と善悪と言論の自由


善悪は
とどのつまり
権力者の手の中にあるという


なぜか?


善悪が
秩序を維持するための観念であり
秩序の管理者が権力者であるならば
そうなるのは当然だ


ソフィストの考えだ


ソクラテスは
今、目の前にあり
実際に首尾よく運用されているものにも
疑問を呈していたのだろう
「本当にそれでいいのか?」


あるものを
あるべきものとして受け入れるのも
あるものと
あるべきものは別物と考えるのも
人間の持つ自由の特性だ


都合の良い方を選ぶより仕方がない


自由の責任だ


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メモ


秩序を維持するために
善悪をはっきりさせることは大切だけれど
善悪をはっきりさせると
自由が利かなくなり
柔軟性がなくなる


だからだろうか
柔軟性のある
おぼろげな善悪が
右往左往している


権力者も
そのなかで
善悪を右往左往することになる


権力者も
善ばかりでなく悪もあるということだ


権力者の顔にも
目や口ばかりではなく
耳や鼻までついているので
善悪を言うばかりではなく
言われてしまうこともある


時に
聞きたくないことも
聞こえてきてしまう


そうこうするうちに
聞きたくないことばかりを口にする口を
塞ぎたくなることもあるのだろう


権力者は
善悪を盾に取りながら
口をふさいでしまうことがある


ソクラテスは
法の裁きにより
自らの口に毒を注いだ


言論の自由は
守ろうとしなければ
悪の烙印と共に
闇の中に埋もれてしまう観念なのだろう

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