ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

思考を中心にして身体が廻るという幸せな勘違い


身体の付属品として
思考能力があるのに
思考能力は
身体の付属物ではない何かの別物だと思ってしまう
さらには
身体を支配している崇高な存在だと考えるから
死んでも
魂はどこかにさ迷うということを考えるようになる


考える主体が中心にあるから
地球の周りを
太陽が回って見える


自分の周りを
社会や会社が回っているようなものだ


でも考える主体がいつでも中心だから
そう思えるようにできている


思考は崇高な独立した支配者であり
誰にも侵されない神聖な私である
そう思うようにできている


人間が
それぞれに
懸命に生き延びてゆくために
必要な設計だったのだろう


この神様が設計した思いやりを無にすることなく
崇高なる思考の場を崇めるひと時を
幸せに迎える必要もあるのだろう


思考の下で身体が活動している
決して身体の維持のために
思考が巡っているのではない
そんな能天気な思考が
幸せを運ぶのなら
それはそれで幸せであり
それが生きる力となっているのなら
この能天気を否定したら
本末転倒なことになる


身体を維持するために
経済が廻っているのではなく
経済を回すために
身体が廻っているのかもしれない


ウイルスが繁殖するために
人類が繁殖してるのかもしれない


人類が恵まれていた時代を生きてきた


その中で育まれた幸せの思考が
機能しなくなる日が
来ないことを切に祈る

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