私という意識は 私の身体の全体であるかのような錯覚のなかで活動している このように 意識と身体が整合した幸せな時もあれば 私という意識は 私の身体とは別物だと思い知らされることもある たとえば しびれが切れた時 たとえば 麻酔で体が動かなくなった時 たとえば 録音した自分の声を聞いた時 たとえば ... 続きをみる
真実のブログ記事
真実(ムラゴンブログ全体)-
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経験ばかりに固執していると 夢を描けない これから経験できることの多くは 経験したことであろうことはわかっていても 何か違うことを経験したいという夢を持つ そこで 現実を超越した理想が顕われる この理想と現実の齟齬において 経験論と観念論の論点が沸き上がる 多くの科学と宗教の齟齬も このような論点... 続きをみる
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予測可能な運動が持続することで 保たれる秩序がある このような運動をもたらす原動力が失われた時 命は尽きることになる * 昨日生きていた 今日も生きている 明日も生きてゆくだろう この帰納法を成立させているものは 観念だろうか? それとも実存だろうか? * 知人の訃報が届いた 「彼は死んでいる」と... 続きをみる