ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

内部と外部:男女差別と年齢差別


ある種のリクガメには老化がないという


年齢が増すほどに
死亡率が上がるのが
おおくの動物の宿命だが
年齢が増しても
死亡率が上がらないリクガメがいるようだ


この種のリクガメは
みんながみんな若者かもしれないし
みんながみんな老人かもしれない


若者と老人の区別がないのかもしれない


「若者なのに年寄り臭いことをするな」


「年寄りなのにいつまで若いつもりでいるんだ」


こんな風に
性差別ならぬ
年齢差別されない世界が
リクガメの間にはあるのかもしれない


考えてみれば
男女差別も
年齢差別も
見た目の差が差別の発端となっている


若者はやんちゃで革新的なイメージ
老人は頑固で保守的なイメージと結べつけられたりするけれど
これは
女性が優しく
男性がたくましいイメージと結び付けられるのど同じように
必ずしも正しいことではなく
かといって
全く持って正しくないことでもないのだろう


顔つきから
性格を予想することがある


当たることも
裏切られることもあるけれど
内部にある内面は
外部に外面として現れているように感じている


とすれば
男女差別も
年齢差別も
理由が全くないわけでもなさそうだ


実際
リクガメの容姿が
リクガメ同士の間でも年齢不詳であるのかはわからない


人間である私は
人間が年齢で差別される動物であると自覚はできるのだけれど
私がリクガメでないので
年齢で差別もされない世界であるのかもわからない


年を取ると
様々な施設の入場料が割引になったり
年金をもらえたりと
恩恵がたくさんもらえる


「年齢差別万歳!」と
素直に喜べないのは
そうはいっても
年を取りたくはないからなのだろう


男女差別も
相互にうらやんだり
嫉妬したり
妬んだりできる
生物としての構造が背景として存在している


人間は機械ではなく
動物なのだから
互いに似ていながら
全く持って同じようには作られていない


その差が
うれしい時も
悲しい時もあるのは
不平等でもあり
人間の醍醐味でもあるのだろう


鏡がなければ私を見ずにすむけれど
鏡を通して
自分の外部と内部を比較できるが人間だ


自身の見た目と
如何に向き合うか?
それが問題だ


避けて通りたいときもある問題だ

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