ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

へそ曲がりの哲学


わたしは
へそ曲がりであるらしい


子供のころ
よくそう言われたので
いまでも
自分はへそ曲がりだと思っている


でも
子供のころのへそ曲がりと
今のへそ曲がりでは
ずいぶんと違いがあると感じている


へその曲がり方が違っているのだ



社会生活の中では
へそを
みんなで同じように曲げないと
社会の調子が悪くなる


たとえば
軍隊の行進が一糸乱れず行われるのは
みんなのへそが
生まれつき同じようになっているからではなく
訓練して
みんなで同じようにへそを動かせるようになっているから
あんなに見事な行進ができる



子供のころ
どうすればみんなと同じようになれるのか
それがよくわからなかった
だから
みんなとは
へその位置がずれていると感じていた


不器用なへそ曲がりだったのだ


いまは
みんなと同じように
へそを動かそうと思えば
動かせる器用さが身についた


社会人として
鍛錬を重ねた成果だ


それでも
みなと同じように
へそを動かしたくなくて
へそを曲げてしまうことがある


では
「なぜ、あえて、へそを曲げるのか?」


それなりの答えとなるべき理屈は
自分なりに持っている
この理屈の総体が
「へそ曲がりの哲学」ということになるのだろう

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