ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

触媒と必然:プライドたちの交流


私のプライドが
私を苦しめることがある


もちろん
そのプライドが
私を鼓舞し
時に幸せをもたらし
私を支えてくれる


だからこそなのだろう
時に
私のプライドが
私を苦しめる


このように
私のプライドは
私を導く触媒として
私の中に埋め込まれている


所属するチームや組織のプライドも
私のプライドの一部をなしている


民族のプライドも
同じように埋め込まれている


だからなのだろう
ワールドカップなどで
世界中の人々を
映像などで眺めたりしていると
他の国々の人々は
随分と自由なんだと思ったりする


私のプライドが許さないようなことを
彼らは
それを禁忌とすることなく
むしろ愉しんでいる場面が目に付くからだ


「あの国はそういう国だ」


世界は広く
様々な国に
様々なプライドが根付いている


堅苦しそうなプライドや
腑抜けにも見えかねない自由なプライドが
それぞれの社会の中で熟成されていおり
それが
ワールドカップのような世界規模の祭典で
触れ合い
不思議な化学反応を起こす


それぞれのプライドが
相対するプライドにないして
触媒反応を起こすのだ


それは
ある意味
人間と猫の触れ合いにも通じる反応だ


それぞれの歴史で熟成されてきた触媒が
反応しあい
通じ合えない部分で不便を感じながらも
通じ合える部分で喜びを感じ
その交流もが
それぞれのプライドに新しい側面を
熟成してきた


友好的な触媒関係ばかりではない


人間と蛇のような
嫌悪感を熟成してきた関係も
プライドの交流の産物だ


好意的な反応に対して
敵意を持ったような反応が返ってくるのも
プライドの交流だ


私の中に
様々なプライドが埋め込まれ
その挿話が私のプライドなのだろうが
プライドの局面局面が
私の意識に登り
友好的に反応したり
敵対的に反応したりする


そうして
自己矛盾や
自己嫌悪
自己満足が生まれてくる


私の中に
私なりの猫や
私なりの蛇が
現れては消えてゆく


意識は触媒の宝庫だ


不可解なものに
好奇心を抱いたり
逆に
忌み嫌ったりしながら
触媒作用を
より多様的に
より複雑にからめながら
実存を熟成し続ける

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