ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

脱中心化:中心と周辺の狭間にて


生命は
義務を履行し続ける主体だ


卵は
細胞分裂を繰り返しながら
決められた発生過程を遂行し
身体を形成してゆく


そして
決められた栄養を摂取しながら成長し
生殖をおこない
義務を遂行できなくなると消えてゆく


だから
生きる権利は
義務を遂行する権利でもある


その義務は
自らに規定され
自らが課している義務である


この義務の体系に
様々な要素が影響を与えている


温度や
気圧や水圧
それに
他の生命の存在が
義務の遂行を達しやすくしたり
達し難くしたりする


義務を果たしやすい環境もあれば
義務を果たしがたい環境もあるということだ


人間では
言葉も影響を与えている


そんな環境とのせめぎあいの中で
義務を履行し続けることが
生命の宿命であり
尊さということなのだろう


ダメなら枯れればいいのだが
枯れずに頑張ろうとする義務が
身体の中に宿っている


外から来る義務ではなく
内から湧き上がる義務に
生命の芯が備わっている


この芯にある義務を履行するために
様々な権利を求め
工夫を凝らした適応的形質を身にまとい
それぞれの世界を生き延びている


こうして
私も
環境にこびない生命の芯と
環境にこびる適応的形質の狭間で
意識を揺れ動かしながら
時を過ごしているのだろう

×

非ログインユーザーとして返信する