ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

脱中心化:アリサとソクラテス


「アリサ」という名前から
私は2人の人物を想像する


一人は
「狭き門」で描かれた
教義を疑いながらも信心を貫く慎み深い女性で
もう一人は
迫力ある歌声を持つゴスペル歌手の
アリサ・フランクリンだ


同じ名前でありながら
全く印象の違う別人であるのだけれど
同じ名前というだけで
どこか同じところがあるのではないかと勘繰ってしまう


1982年のブラジルのサッカー代表チームに
ソクラテスという選手がいた


ジーコ中心のチームだったけれど
ソクラテスという名前と手足の長い髭ずらが妙に印象に残っている


哲学者のソクラテスとは無関係なのだろうけれど
どうしても
その選手も賢者のような気がしてならなかった


名前と人間は別の存在ではあるけれど
名前負けしたり
名前が先行したりする


人には名前を創ってきた歴史があるらしい


言葉に意味を添えてゆくように
名前に様々な意味や印象を刻み続けているようだ


今も
様々な名前に
様々な意味を刻み続け
名前に刻まれた意味を
名前は運び続けているのだろう


私も私の名前に
様々な意味を刻み続けているし
空を飛ぶカラスも
「カラス」という言葉に様々な意味を刻み続けている
ハエも
「ハエ」という言葉に様々な意味を刻み続けている
むろん
直接刻んでいるのは
言葉を話し
言葉を聞くなどして言葉を操る人間なのだけれど
言葉を当てはめられた動物たちの行動や姿も
言葉の世界に入り込みながら
言葉に意味を刻み続けている

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