予定と実践:過去がぼんやりとかすんでゆくということ
空気の中で
無数の気体分子が
それぞれのベクトルをもって動いている
こられのベクトルの大きさや方向は
分子同士の衝突で変わるし
光の衝突でも変わってゆく
私の吹きかける息でも
無数の気体分子のベクトルが変わってゆくのである
こうした外因により
ベクトルは変わるのであるからして
こうした外因を知ることが出来れば
その前のベクトルを知ることが出来よう
こうして
過去へ過去へと進んでゆくと
地球の始まりや
宇宙の始まりにたどり着くはずである
しかし
ベクトルを変える原因を知った時には
その知ることに要した時間が経過し
知ろうとしたベクトルが存在していた時間は
どんどん過去へと流れてゆき
今から遠くなってゆく
過去に遡ろうとする
因果律から帰納する思考の速さと
時間が流れてゆくが逆方向の速さが
それそれのベクトルで動いて
競争することになるのである
言い換えると
相対的に
時間が未来の方向へ流れてゆくのが早いと
過去のベクトルの状態を把握できないことになり
過去にさかのぼる思考のベクトルが大きいと
過去のベクトルン状態を把握できるということになる
そこで
思考は
尾ひれの様な因果律を排除して
主要な因果律に焦点を絞り
過去に遡ろうとするベクトルの速度を上げる
しかし
それゆえに
過去の再現されたベクトルの精度は落ちる
ぼんやりとした過去しか把握できず
今のような
みずみずしく
生き生きとしたベクトルにはならないのである
とかくにして
思考には限界が設けられ
地球の始まりや
宇宙の始まりは
ぼんやりと想像することしかできないということになる
平たく言えば
私の吐息も
未来を変える因果律の一端であるからして
私の吐息も考えに入れなければ
過去は
不鮮明なものにならざるを得ないということである