ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

予定と実践:挨拶が予定し実践していること


「おはよう」という言葉には
たとえば「猫」という言葉が持つ意味の様な
意味らしい意味がない


「おはよう」に対して
「おはよう」とオウム返しがあると
そこに意味が生まれる


「yes」の様な受容の感覚が
その意味である


これに対して
「おはよう」に対して
「おはよう」が返ってこないと
「no」のような拒絶の感覚が生まれる


こう考えると
「おはよう」は
受容か拒絶かを問う疑問文ということになる


このような「おはよう」が持つ意味合いが重くなってゆくと
”愛の告白”ということになるのだろう


「おはよう」には
たとえば猫といった
共通の対象を思い浮かべる機能はないが
互いの間で
言葉を交わし合おうという意志を確認できる


赤ちゃんが
「あーあー」と声を上げると
その横で
大人たちが
「あーあー そうだねえ」とオウム返しをする


「うー」と聞けば
「うー うー そうだそうだ」と会話する


何の意味がなくても良いのである


ただ
言葉が交わればよいのである


こうして
言語ゲームが始まり理を告げる

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