ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

脱中心化:カップリングによる主体分散


ただ放っていても
水は沸騰しない
けれど
コンロに水の入ったやかんをかけ熱すると
水はすぐに沸騰する


コンロの火は発エネルギー反応で
やかんの中の水の沸騰は吸エネルギー反応だ
吸エネルギー反応と
発エネルギー反応がカップリングすると
普段
あまり起こらない吸エネルギー反応を
意識的に起こすことができるようになる


生命は
このようなカップリングを上手に組み合わせ
取り込んだ栄養をゆっくりエネルギーとして発しながら
そのエネルギーを吸エネルギー反応である生命現象に利用している


カップリングにより複数の現象が起こると
どの現象が主でありどれが従かということを
想定することはできるだろうが
どんな些細な現象でも
その現象を欠くとカップリングが崩壊してしまう


この意味で
カップリング現象を担う各現象は
それぞれがそれぞれの機能の中心を担いながら
全体を維持していると評価しなければならない


カップリング現象の全体の中心は
あくまでも各機能の中心の総和であり
各機能の中心が
カップリングにより
全体の中に分散し
他の機能の中心と混じり合い
全体の中心を渦巻いているようにイメージできる


コンロの火と
やかんの中の水は
熱の移動ということで連なった関係にあって
はじめて
「お湯を沸かす」という全体が創生されている


やかんに穴が開いていたら
水はコンロの火を消してしまうかもしれない


火や水が主体となって「お湯が沸く」のだろうが
やかんも重要な機能を負っている


何が主体で何がわき役かは
それを判断する思考によるもので
欠ければ成立しない現象を支えている個々の現象すべてが
主体の一翼である


逆に
完全に一体として見られ
どれが中心と言い切れないようなカップリンこそ
完成度の高いカップリングと言えよう


そんな完成度の高い一体化の例として
身体をあげられる


完成度の高いカップリングの部分にもかかわらず
主体を叫び
他の存在をないがしろにすると
全体が崩壊してしまい
主体を叫ぶ現象も
崩壊の危機にさらされてしまう


そんな分断により崩壊するような完成度の高い
カップリングにより成立している秩序をも
思考は分断し
格別の現象として還元する


ここに思考の現実離れした自由がある
そして
この自由により
新しいカップリングを模索することができるようになっている

×

非ログインユーザーとして返信する