ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

持続性:全体主義三態


細胞周期がどこかでとどまってしまうと
細胞は死んでしまう


周期を廻し続けなければ
持続できないのだ


このように
恒常的流転を繰り返している秩序において
その円環を描く周期全体が機能していることが
持続の必要条件となっている


このような周期全体のために
周期の断面として現象が駆動している場合
経時的全体主義と表現できよう


身体と細胞の関係は
身体という全体のために
部分としての細胞が貢献するという全体主義となっているが
これは身体と細胞を同時に観察できるという点で
同時的な全体主義と表現できよう


同時的全体主義は
組織的なつながりを形成し
経時的全体主義は
周期的なつながりを形成している


生命を
どのような全体主義的傾向があるか眺めてみると
大腸菌やミドリムシのような
単細胞生物は
同時的全体主義の傾向は低く
経時的全体主義を重視している


これに対して
植物や動物のような
多細胞生物は
同時的全体主義の傾向も高い戦略で進化してきた生き物だ


ただどちらも
不完全な持続性しか達成できる技術しか持ち合わせていないから
仮に死んでしまう個体がいても
他の個体が生き残ることで
種を維持している


このような多数化することで
個体の不完全性を補完して
種を維持してゆく
確率的(補完的)全体主義の戦略を取っている


下手な鉄砲数打ちゃ当たる
というのが
確率的(補完的)全体主義で
母数のうちいくつかが成功すれば
「種」といった全体を維持できる構造に見ることができる


生命は
このように
同時的全体主義
経時的全体主義
確率的全体主義のもとで
円環を維持している存在と思考できる


進化は
確率的全体主義により許容された失敗を重ねながら
同時的全体主義や
経時的全体主義の完成度を高めてきた過程とも考えられる


失敗のない全体主義には失敗の許容が不要なので
全体主義が完成していたならば
確率的全体主義は不要な戦略になったのだろう


この意味で
子を産むということは
全体主義の欠缺を生める補完的な出来事だ


全体主義が完成せず
失敗が起こる確率がある限り
補完が必要だ


ここに
社会の中で個人の失敗が許され
個性の自由や多様性が輝く論拠もあるのだろう
しかし
逆に
これが
社会の中で個人を犠牲にする論拠ともなっている


補完的全体主義は
全体主義の妥協点のたまり場だ


そんな補完のおかげでもあろうか
生命は
失敗を乗り越えながら
失敗とともに歩み続ける

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