外は 雪交じりの強風である 遠くは 白くかすんでいる こんな天気の中で 高気密住宅の部屋の中で ぬくぬくと過ごしていると 文明のありがたさが身に染みる 野生の猿や鹿は 今頃どこで寒さを耐えているだろう この様に 人智の恩恵に浴しているには むろん 認知の恩恵に報いなければならない ここに 社会への... 続きをみる
2024年2月のブログ記事
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「好き」「嫌い」だけでやってゆければ良いのだけれど 「嫌い」を避けるために知恵を働かせると その結末に「良い」「悪い」が現れる たとえば 雨に濡れるのは「嫌」なので 傘をさす 傘をさし濡れなければよい傘で 濡れてしまえば悪い傘ということになる だから 穴の開いていない傘は「良い」傘で 穴が開いたり... 続きをみる
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いま日本のタンポポは 大概 セイヨウタンポポという外来種で 日本の在来種の二ホンタンポポは あまり見かけなくなっているという セイヨウタンポポの方が 繁殖力が強く 二ホンタンポポに生えていた場所に どんどん進出して 二ホンタンポポの生息域を セイヨウタンポポの生息域に変えていっている 、、、という... 続きをみる
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ナリヌワイ氏が亡くなった 組織を裏切るものの末路は哀しいものになる と 相場が決まっている、、、らしい この哀しみを肥やしに 組織が太くなるというのが定石ということらしい * アフリカ大陸を 緑の草を求めてヌーの大群が大移動をする 群れからはぐれて孤立したヌーは ライオンなどの肉食動物の格好の標的... 続きをみる
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「こういうことは良いことで ああいうことは悪いことです」 世の中には こうした道徳的言説に満ち溢れている このような道徳的言説により 人間の行動が制限されている こうした道徳的言説とは別に 人間の行動を制限する言説に 個人的お願いがある 「こういう状態なので こうして欲しい」 「こうした事情な... 続きをみる
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個人が 自分の利益ばかりを追求すると わがままと言われるけれど 組織が 自分の利益ばかりを追求しても 組織の内部から わがままと言われることはない だから 組織の中に染まりきってしまうと 組織のわがままを 何の批判もなく実行してしまう 躊躇があっても 組織を批判しないことを「善」とする空気に その... 続きをみる
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善悪には相対的なところがある 自社の売上増は「善」であり ライバル社の売上増は「悪」であるところがある 自社の新技術開発は「善」であり ライバル社の新技術開発は「悪」という具合である 好き嫌いにも相対的なところがあり 自分の取り分が多いと嬉しくて「好き」ということになり 自分の取り分が少ないと悲し... 続きをみる
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戦闘を「好き」でしている人は そう多くはいないだろう 戦闘のシュミレーションゲームが流行るのだから 戦闘が「好き」な人はいるのだろうけれど 実際の戦場で 命を懸けて戦うとなると 戦闘シュミレーターも二の足を踏むだろう と 私は思っている 私は 死ぬのは「嫌い」で 皆 死ぬのは嫌だと思っているからで... 続きをみる
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「好き」「嫌い」で判断する時と 「善」「悪」で判断する時がある 「好き」を選べとうれしくて 「嫌い」を選ぶと辛くなる 「善」を選べば善良な人になり 「悪」を選ぶと下劣な人になる 「好きで善」なら幸せになり 「好きで悪」ならわがままになる 「嫌いで善」なら偽善となり 「嫌いで悪」なら悪のしもべである... 続きをみる
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「好き」があると その対象を思い通りにしたくなる欲求が沸き上がる そんな思いと裏腹に その対象が思い通りにならないと憎くなる かわいさ余って憎さ百倍という訳だ こうして 憎くなっても 元来がとても好きなのだから 憎くさを差し引いても好きでいる それで 「世の中思い通りにならない」ということになる ... 続きをみる
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次から次へと 消えてゆく「しあわせ」を追いながら 老いて来た 老いても なお 「しあわせ」になりたいと 祈りをささげる 消えてゆく「しあわせ」とともに 人生はあるものらしい あったのか なかったのか よくわからなくなってゆく「しあわせ」 きっと 人生も あったのか なかったのか よくわからくなって... 続きをみる
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思考の世界の中の大空に 「善」という字を描いてみる その「善」に 「善」についての語らいや 「善」とされる経験を紐づけてゆくと 大空に浮いていた「善」が 次第次第に落ちてきて 心の中に納まった 心の中に納まるや 「善」についての語らいや 「善」とされる経験が心を震わせながら いよいよ本物の「善」と... 続きをみる
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青空に 墨汁を滴らせ でかでかと「大空」と描いてみる 思考の世界は何より大きい 宇宙よりも大きい この世界の中で 大空よりと同じくらい大きい いやもっと大きな筆をとり 「大空」と描いてみせる 「どうだ 空は広い でも 頭の中は もっと大きい」 こうして 空に絵が描かれる 空絵事ができあがる... 続きをみる
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たくさんの人間がいる 私以外に とてもたくさんの人間が生きている みな 同じ人間としての特徴を備え 他の動物とは異なる人間として生きている アリの行列のように 大都会の駅から 人が次々と往来を歩いてゆく コピーされた原稿が 次から次へと コピー機から出てくるように 人間が地下道から現れてくる 生物... 続きをみる
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私は 私以外のものにはなれない 猫になりたくても 猫の着ぐるみを着るのがせいぜいである 猫ではなく 同じ人間でも 他人にもなれない 私は 私でい続けなければならないらしい 私の意識が 他のものになろうと決意したところで この事実は変えられない この意識を無視した同一性の保持には 前例踏襲が寄与して... 続きをみる
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よくもまあ こんなにたくさんの車が道路に溢れているのに 車同士ぶつからないものだと 感心してしまう たまに 道路を逆走して ぶつかった車があるというニュースを見るが そんな車は 極めてまれな例外に過ぎない だから 安心して車を運転することが出来ている 仮に1%でも 車が逆走しているとすれば 毎日事... 続きをみる
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冬場の空気の乾燥のせいなのか 皮膚が痒くなる 痒くなるから掻くと ますます痒くなり 血が滲むまで搔きむしってしまうこともある 痒くても我慢しなければならないと 頭でわかっていても 掻くと気持ちが良いのだから厄介である さて 人の痒いのはわからないけれど 自分の痒いのはよくわかる しかも 何処が痒い... 続きをみる
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雪道でスリップを起こし 対向車にぶつかってしまったことがある 雪道なので 互いに ゆっくりと走っていたので大事にはならなかったのだが ブレーキもハンドルも利かない状態で 数秒間滑り ゴツンとぶつかり停車した この数秒間 突然 世界はスローモーションのように動いていた 何も考えられず 何もすることも... 続きをみる
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味覚は 食べてはいけないものを忌避するために 機能している が 「食べれる」と感じずに 「美味しい」とか 「不味い」」と感じる このような感覚のお陰もあって 食事は 栄養を摂るという目的とは異なる おいしさを味わうという目的をも提供してくれている 感覚により 目的が重層化しているのである こうして... 続きをみる
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言語が 視覚や聴覚に依存しているように 芸術もまた 視覚や聴覚に依存している 五感の中で 視覚や聴覚は 遠いところを知覚するための遠感覚といい 味覚や触覚は ごく近いところを知覚するための近感覚ということがある 臭覚は遠感覚とも近感覚ともいえよう 近感覚は 食べられるものか そうでないかを分別する... 続きをみる
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言葉には 文字としての形と 発生の音とがある 形と音の関係は 言語圏で代々引き継がれているものであり その関係性は経験的なものであって 言葉が生まれる前から運命づけれたものではなさそうである さておき 人間には 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の5つの感覚がある メジャーなものとしては このうちの視覚... 続きをみる
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「むかしむかしあるところに おじいさんとおばんさんが すんでいました」 こうした言葉たちを読むと 頭の中に おじいさんと おばあさんが生まれてくる おじいさんやおばあさんばかりではない 龍や雷様も生まれてくる 言葉には世界を創造する力がある そうした世界を 言葉たちがさらに動かす 凍てつくよう... 続きをみる
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何を考えているかにより 未来が変わってゆく 今という瞬間に 思考と実体は 別々に動くことができているけれど 思考が 手足を動かし 口を動かし 未来に影響を与えている やさしさも 裏切りも 思考の差し金ということである そこで 良い未来をもたらす可能性を高くする思考が良い思考 と考え 様々な良い思考... 続きをみる
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考え事は 忘れることと 思い出すことを繰り返しているところがある 今在ると 今無いを繰り返しているのである 「無かった」ものが急に「在る」になり 「在った」ものが急に「無い」になる 実際には 光が当たりある様に見え 光が別のところにあたり そこには光がなくなり見えなくなるようなものなのだろう そん... 続きをみる
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何も考えず ただ現状を見聞きしている状態を 純粋体験というらしい なぜこうなったとか これからどうなるとか なにをしてその後どうするか なんてことを一切考えず ただ感覚器から周囲を体験する このような純粋体験から切り離された思考を 純粋思考と呼べるだろう 普段は 体験と思考が交錯しながら 意識が活... 続きをみる
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嘘は 比較において評価される 受け入れがたい現実を前に 「ウソだ!」と大声で叫びたくなる時がある 頭の中に在る「あるべき現実」と 目の前に在る「受け入れがない現実」との間に 大きな差異があり 「受け入れがたい現実」を「偽」としたいという強い思いが 「ウソだ!」という言葉となり 頭の中に鳴り響く こ... 続きをみる
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考え事をしていると 「何をボヤっとしているんだ」 と叱られることがある 実際に叱られなくとも 周囲から 「ボヤっとしてしているなよ」 といった目が注がれることがある 考え事をしていて 赤信号が青に変わっても 車を発進しないことがある 後ろの車がクラクションを鳴らしてくれ 我に返って 慌てて発信する... 続きをみる
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ヘリコプターや竹とんぼの羽は 止まっている時は板状の棒であるが 高速で回転している時には円盤に見える このことから 今といものは 時間の断面ではなく わずかな時間の動きとして認識されている と考えられる 認識も 動きであるから 時間の経過が必要ということだろう この 今という動きの中で 私の意識は... 続きをみる