言葉が 意識の中に法を作り その法面を乗り越えようとする感情や本能を 堰き止めている そうして 言葉の檻ができあがる この檻の中で 不自由を感じながら 言葉を愛でる 言葉がもたらす 恩恵を祈り 恩恵に感謝する 文明は こうして 人の命を明るく照らしている その灯に 人は集まり 檻の中に納まり 文明... 続きをみる
2024年4月のブログ記事
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死ぬと 桜の花を見ることが出来なくなる 死んだことがないので 上の言葉の真偽を実感したことはないのだが 視覚が生きているがゆえに働いている機能であるならば 死ねば 視覚が機能しなくなり 桜の花も見えなくなることは 必然な出来事である 鏡に映った桜は 鏡が割れると無に帰するのであるが 本物の桜は 鏡... 続きをみる
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どんなに長く生きて来ようとも 今しかなく 過去は消えてしまった そして死は いつでも未来に待ち構えている だから どれほど生きてきても いつでも 死に臨み 残された時間を思うことになる 残された時間を 長いと思ったり 短いと思ったり ありがたかったり 恨めしかったりする 何十回となく眺めた 春の桜... 続きをみる
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満開の桜の枝に無数の花が咲いている そのどれもこれもが 同じ花の形をしている ほんの微細な違いはあるのだろうが 同じように花芽を膨らめ 同じように花を開き そして 同じように花びらを散らしてゆく 言ってしまえば この同一物たる桜の花の大量生産は あたかも工場の様である こちらのビール工場では こち... 続きをみる
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1+2=3である 3=5-2である よって 1+2=5-2である 3をいろいろに表現できるということである 1+2や5-2はむろん 103-100も3である 1003-1000も 105-102も3である 表現される形は違っても みな3である 3は 無限に異なる表現を持っている この3が持つ表現全... 続きをみる
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人間には 言葉を愛する才能に恵まれているらしい 言葉に魅せられ 言葉を求め その言葉に服従し 言葉を発して 言葉を賛美する 時に 自己愛よりも 言葉への愛が強くもなるらしい 自らの気持ちと裏腹な言葉にさえ 自らを曲げても 従うことがあるのである 愛するもののために 自らを犠牲にしさえする 何という... 続きをみる
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ある日 イタチがタヌキになった そのタヌキは しばらくタヌキとして生きていたのだが ある日 再びイタチに戻った こんなことをこのイタチタヌキは繰り返していた この繰り返しには周期があるようで 春に イタチはタヌキとなり 秋に タヌキはイタチになるのであった だから 夏にはイタチはいないのであったが... 続きをみる
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異なるものを同じとすることで 異なるものを 同じものとして連ねることが出来る そして この連なりが円環を描くと 循環が始まる 循環が始まると 循環している間 その同じものは存在し続けることになる 生きた化石と称される生き物は 昔生きていた個体とは異なる個体でありながら 同じ存在として位置づけられる... 続きをみる
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過去の記憶は 記憶であり過去ではない しかし その記憶にしか過去はない だから その記憶を過去ということにしなければ 過去は何もなくなってしまう 過去=過去の記憶 これも異なる存在を同じものとする 同一化擬制の賜物である この擬制により アンモナイトの化石は 生きていない「今」なのであるが 「過去... 続きをみる
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言葉は 鏡に映った虚像のようなものである そのような言葉の中に真実を見出そうとする意識が存在している 鏡に映った私の中に真実がある探すのである 本物は本物として 鏡の中にも真実を見出すのである そして それに手足が協力する 言葉に真実を見出した意識が手足を動かし 現実を言葉通りに変えてゆき 「そう... 続きをみる
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鏡の中の私は 私ではないが私である 私は一人であるが 鏡に映った私は 鏡の数だけ増えることが出来る 同じように ひとつの言葉が 聞く耳の数だけ 増えてゆくことが出来る 一つの太陽が それを見る目の数だけ 増えてゆくことが出来る 意識は鏡のような存在である 様々な存在を集め それの物まねをしながら ... 続きをみる
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視覚などの感覚擬制や 言葉をあてがう言語擬制の様な同一化擬制は 生命のセントラルドグマにおいても成立している DNA塩基配列が アミノ酸を擬制しているのである 業務マニュアルが 実践する業務と同一でなければならないのも 同一化擬制に他ならない 同じでないものを 同じであるとすることで 様々な秩序が... 続きをみる
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言葉と意識:2つのconstructive identification
言葉は その対象と同一なものとみなされることにより 成立している 視覚も その対象と同一なものとみなされることにより 成立している この2つの同一化の擬制により 見られている太陽と 「太陽」という言葉が同一なものとみなされる 外に在る太陽=意識の中に在る太陽 意識の中に在る太陽=太陽という言葉 よ... 続きをみる
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言葉とその対象は 同じものとして扱われる 同じものとして扱われなければ 言葉は その対象ではなくなり 根無し草となり 恣意性を取り戻し 意味をなさなくなる この「同じものでなければならない」という義務において 言葉は意味を成し 会話が成立している 意識ひとつ太陽を得て暖かし 「太陽」という言葉は ... 続きをみる
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言葉が通じ合って その意味を分かり合っても 同意し 調和することが出来ないことがある 赤信号は「停まる」で 青信号は「進む」であるが 黄信号は 「急げ」であったり 「とどまれ」であったりする 意見が割れた時 誰かの意見に統一されると 調和が成立するが 意見が分かれたままでは調和は成立しない 意見を... 続きをみる
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顔の表情から その人の気持ちを察するのと同じように 言葉から その言葉の意味を察している 言ってみれば 言葉には表情がある この表情を創るのがうまい人は 作文がうまい人であり この表情を読み解くのがうまい人は よく意を解する人である 何かを伝えようと いくら目配せをしても それに気づかない人がいる... 続きをみる
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猫が目を見開いて 地面を這うように匍匐前進していると 「何か獲物を狙っているのかな」と察しが付く 狙われている側の被食者が この姿を見たら 慌てて逃げだすのだろう こうして まんまと獲物に逃げられた猫にしてみれば 「ああ 気づかれてしまった」と 察しを付けるのだろう アフリカのサバンナでは イン... 続きをみる
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言葉には意味が込められている だから 文字に 形と意味が同居している 意味が込められていなければ ただの形なのである 信号機の赤色には 「停まれ」という意味が込められている 赤色と「停まれ」は 二重に存在しているということになるが 赤色は信号機に宿り 「停まれ」はそれを見ている人に宿っている 文字... 続きをみる
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「雨」は 嫌なものであり ありがたく嬉しいものである 愉しみにしていた遠足の日の雨は 哀しく 嫌なものであるが 日照り続きの後の雨は 恵みの雨である 時間も長いものであり 短いものである この時間の長い短いは 2点の時間の長さを表現するのであるが 意識は「今」という時間しか体感できないので 記憶の... 続きをみる
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痛いゆえに痛み在り 痛みという存在は どこから来るのか? 痛みとは何ものか? 痛みはどこへ行くのか? 「痛み」は生きているというのと同様に 「痛み」は状態としての存在である 「思う」というのも同様である 意識の状態に言葉があてがわれている だから 「痛い」という状態にも 「思う」という状態にも そ... 続きをみる
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現実的でないことを 机上の論理ということがある そうはいっても 正しい論理も机上から生まれている 論理は机上で生まれ 机上から離れて実践され 上手くいけば 正しい論理と言われるのである 実践されないから 机上の論理ということなのだろう 夢のような車を机上で設計できても これを実際の車として製造しな... 続きをみる
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能力が切り開く世界がある 物語を読み その世界に引き込まれる 物語を読む能力がなくては 浸れない世界である 字を読めない子供が しきりに本を読んでとせがむ そんな子供も 言葉を聞くことが出来れば その本の物語に浸ることが出来るのである 視覚的な美の世界 聴覚的な美の世界がある 人々を魅了するこれら... 続きをみる
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桜の花言葉は 「精神の美」「優美な女性」だという スズランのそれは 「再び幸せが訪れる」「純粋」「謙虚」だという ひまわりでは 「あなただけを見つめる」「愛慕」「礼拝」 ひめゆりでは 「誇り」というのがあるらしい 今の時代では こうした花言葉を 検索で知ることが出来るので便利であるが 花言葉を知ら... 続きをみる
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「肉体疲労」という言葉は 疲れているわけではなく 筋肉痛があるわけでもないので 疲れていなくても「肉体疲労」と発語できる しかし 本物の「肉体疲労」では 疲れた感覚や 筋肉苦痛を伴い ひどい場合には 「肉体疲労」などと発語する発語する余裕もなくなる それに 「肉体疲労」という言葉を知らない外国人と... 続きをみる
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空を眺め 「雲が浮いている」という言葉を思い立つことがある こうした時でも 目を閉じると浮いていた雲は消え失せる また目を開けると 「雲が浮いている」という意識が回復する 空に雲が浮いている間にも 言葉の「雲」も 意識の「雲」も 在れば在り 無ければ無い存在である 私次第で 現れてはまた消えてゆく... 続きをみる
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日本には山がある これらの山は日本の中にあるので 日本より小さく 日本の一部が山である 山は世界のあちこちに在る これらの山は日本の外にもたくさんあるので 日本よりも大きく 山の一部が日本である 意識の在り様で 言葉の意味が違ってくる 言葉を優先して 意識を無視すると 言葉尻をとらえたおかしなこと... 続きをみる
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言葉は 意識の在り様に対する命名である 「太陽」という言葉は 空に浮かぶ太陽を指していることになっているが むしろ その太陽を見ることにより生じた意識の状態を指している と言った方がわかりやすい だから キラキラ光っているお星さまのほとんどが 太陽より大きな星なのだけれど 「お星さまよりも太陽は大... 続きをみる
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記憶に感情がこびりついている 何かをなすと その結果を理性的に評価すると同時に いやむしろ それより前に 感情がその実践を評価する うれしかったり 悲しかったり 悔しかったり 憎かったり こうした感情を 理性が 良い感情なのか 悪い感情なのかと評価する この評価により 良い感情を呼び起こす実践は良... 続きをみる
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正しいとされることは 誰が決めたのか? そもそも 正しいことをしなければならないと 誰が決めたのだろう 子供の頃 「大人の言うことを聞きなさい」と言われた 両親や 学校の先生の言うことは正しいものだと言い聞かされた 本当だろうか? 本当であろうが 嘘であろうが それらが本当であるという事で 学級が... 続きをみる
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全てを語るという事は 何も語らないという事である なぜなら 何かを語ろうとするとき 立場が顕われるからである 全ては 全ての立場でなければならず 特定の立場が顕われた時 それは全てではなくなるからである だから 全てはただ在るだけである ただ在り 「あーだ」「こーだ」と言われても ただ在るのである... 続きをみる