ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

対応的同一:能動的再現と目的


笹舟を流す川の整備には
笹舟が滞りなくなく流れる環境を作るという目的がある


このような整備により
能動的に
より画一的な笹舟の運航が
誘導されている



リンゴを頭の中に描き
その数を数える


その時のリンゴは
どれもこれも
個性のない同じリンゴだ


ただ数えるためのリンゴなら
リンゴを区別する理由や目的が見つからない


ところが
スーパーに並んでいるリンゴの中から
ひとつを選んで買うとなると
どれが一番うまそうかを
些細な差も見逃さまいとよく見てから買う


結果において差がでてしまう場合
リンゴたちをよく吟味するのだ


逆に
数を数えるためのリンゴのように
結果において差が出ない場合には
リンゴたちを同じにしてしまう


同一であるということは
同一としても差し支えないから
笹船の航路整備のように
画一的に同一が誘導されているのであり
きっと
差支えが出ると
同一ではなくなる



リンゴが沢山あると数を数えたくなる


石の数も数えようと思えば数えられる


砂の数は数えたいとは思えない


粉の粒子の数は
顕微鏡を使えば数えられるのだろうが
そんなことをしてまで数える必要はない


水の分子の数など
科学の計算に負けせておけばいい


リンゴ、石、砂、粉、分子
大きさが違うと扱いが変わる


同じ存在なのに
扱いが変わる



存在は知覚の賜物だ


同じと知覚すれば同じであり
違うと知覚すれば違う


このような知覚の知覚に差が生まれるのは
目的に応じて知覚が働くからなのだろう


50個並んだリンゴが
目的の都合に合うように
みんながみんな同じ存在になったり
それぞれが違う存在なったりと忙しい


ただ数えるためのリンゴなら
その新鮮さや甘さや赤実などの形質は
笹舟の運航の邪魔になる石や流木のような存在で有り
数を数えるという目的のために
除去してしまうのだろう


数を数えている途中で
「このリンゴがいいな」などとお考えていては
いくつまで数えたか忘れてしまう


忘れてしまったら
また一から数え直すことになる


能動的に効率よく再現することが
数を数える時にも大切だ

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