ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命力:生命の内部と外部の境界線


感覚器と結びついていない意識は
楽しいだろうか?


目や耳がないと
何も見えないし何も聞こえない


臭覚や味覚もなければ
味気ない


感覚器は
痛みといった苦痛を意識にもたらすが
さわやかさや
多幸感も醸し出してくれる


意識は
私の身体の内部と外部を区別している


現象の連鎖が強固な部分は体内で
現象の連鎖が希薄な部分は体外だ


つめや髪の毛は中間なのだろう
切った先は
切った瞬間に外部になる


鏡に映った私や
写真の私も外部なのだろう


録音された私の声も
私の外部に存在する


私という生命現象に満ち溢れている場所が
私の体内であり
私という生命現象が希薄な場所は外部だ


抜け落ちた髪の毛には
私の生命現象はもはや起こらない


録音された私の声も
私の生命現象ではない


これらの存在は
私の生命現象が影響を及ぼした外部だ


水が豊富に流れている場所を「川」と呼ぶように
生命現象にあふれた場所を「生き物」という


空間が違えば
現象に濃淡がある


この濃淡の境界線を
意識は
生命の内部と外部の境界線として想定しているようだ


そして
内部のことばかりでは満足せずに
意識は外部に向け感覚器を張り巡らせている

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