局在と遷移:主体性の起源について
言葉を話すという能動により
主体性が維持されている
聞いてばかりでは
主体性を感じるための取り付く島がない
殴られてばかりでは
主体性を感じるための取り付く島がない
殴るり
相手をひざまづかせると
主体性が広がる
主体的であるということは
しゃべることであり
殴ることなのか?
*
しゃべらせてあげることや
殴らせてあげることは
主体性を相手に感じさせ
喜んでもらえることのようだ
なぜ主体性を感じると
嬉しくなるのだろうか?
*
生きるということは
主体的なことである
そう感じ
嬉しくなって生きている
この喜びは
奪い取った喜びだろうか?
それとも
与えられた喜びだろうか?
*
酒を呑むということは
酒にのまれることでもあろう
のんだつもりで
のまれることはよくあることだ
*
主体的であることに喜びを感じ
主体的でないことに抑圧を感じることは
その主体が持続するのに都合が良い
循環論だ
この循環論が維持されるために
他の主体が
その主体が持続するために主体的であると
主体が維持される蓋然性が高まる
のみのまれる関係だ
小麦は主体であり
人間は小麦にとり客体だ
その客体たる人間が
小麦が実をつけるために主体的活動している
客体と主体が
それぞれ局在を為し
相補的に協調している
*
生命がなくても
地球は回るけれど
生命はそれぞれが主体的に
それぞれの系譜を維持している
無くて
あっても
どちらでもよいものが局在するということに
主体的な意志が必要なのだろう
私は
私の主体として
私の存続を望むようにできている
痛さや
不幸や
幸せや
心地よさが
私を主体的に存続させようと
私の中から湧き上がる
*
大腸菌に主体性を観察することが出来る
必要なものを取り込み
不要なものを排泄する主体
必要であることを創る主体性
不要であることを創る主体性を
大腸菌は兼ね備えている
このような主体性がなければ
大腸菌は周囲に拡散し
その大腸菌としての局在を失うことになる
*
徒労が循環し
その循環の局在の中で
主体背が意味を持つ