ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:自由の剥奪としての法支配


私の心臓と
私の肝臓が
助け合いの関係を反故にしてしまうと
私は死ぬことになる


助け合いの消滅と共に
私も死ぬのだ


社会において
人と人の関係を維持させているものに
法律がある


法律は
個人に対し
「自由の剥奪」として作用し
この結果としての社会秩序を通じて
「個人を保護する」という効果を発揮している


だから
効果を発揮するような「自由の剥奪」が模索され
その剥奪に見合った効果が得られなければ
悪い法律ということになる


訳もなく暴れる人は
個人の自由を謳歌しすぎているので
この自由を剝奪して禁固刑にしたり
社会の役に立つ仕事するために
自分の時間をすり減らしている人に
社会として報酬を与えたり
法律は様々な形で自由をはく奪し
それにより社会を維持する仕組みを提供している


痴呆症になると
制御が利かず
あまりにも自由になるから
社会的に自由を剝奪しなければならなくなる
その結果として
痴呆症にり患した人を保護する効果を発揮するように
法律は模索している


騙されたり
徘徊する自由を剥奪する


常識に従えなくなれば
それなりに自由を制限しなければ
不利益を被ることになるので
法に依る加護が必要であり
法による自由の剥奪が正当化されているようだ


子供も
自由であり
保護の対象になっている


加えて
子供には長く続く将来があることから
少年の更生という効果を期待して
社会制裁の自由が制限されている


社会も
個人も
自由を奪われることで
恩恵を受けることを期待しているということだ


心臓も
肝臓も
自由を制限され
決められた仕事をこなしている
休みたいとか
遊びたいとか
そんなことを思いもせずに働いている


身体は
そんな強権的な関係が成立している場であるが
社会は
そこまで強権的になれはしない


自己決定権を含む尊厳が
社会にばかりあるのではなく
個人にもあるので
個人の自由が許されなければ
社会批判が高まるからだ


それにしても
私は私の何を自己決定しているだろう


私の大切な何か?


私の尊厳、、、


こんな重くて難問は
放っておくのも悪くなかろう


そうだ
のんびり露天風呂につかりに行こう


これも大事な
自己決定権であり
尊厳であるに違いあるまい


きっと
尊厳は
一時の法支配からの逃避行を誘致し続けている
不埒な存在に違いない


けだし
私の
生物学的な個人の尊厳は
法支配という表面的なものではなく
もっともっと長い期間を用いて熟成された
もっともっと深淵な世界の中に在るからに相違ない

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