ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

思考と実体:懐疑の果ての今という属性


今という感覚がなくなると
今見ている景色を
どの様に見ることになるのだろうか?
などと考えてみたところで
今をなくすることが出来ないから
何とも答えが出てこない


夢を見ているにしても
きっと今があるのだろうし
考えるにしても今がある


未来の夢を語るのも
今であり
昔の思い出に浸っている時も
今である


もしかしたら
今がなくなれば
何も見えなくなり
何も考えられなくなるのかもしれない


そう思われてくるほどに
今は捨てようがない


この今が基準となり
過去があり
未来がある


現実も
今を基準として知覚しているのだろう


いくら懐疑を尽くしても
考えている我以上に
今を否定できない


その今が過去になってい行く流れの中で
動きが生まれ
その動きにたいして
喜んだり
悲しんだりという感情が生まれる


動かずにじっとしている石には
今があるだろうか?


じっと動かずにいるということは
過去と今が同一であるということであり
石にも今があるのだろう


すると
私と私が見ている石は
今を共有している仲間ということになる


今で連なっているのである


この連なりの中で
空間があり
私は石を動かすことが出来る


適当な大きさの小さな石であれば
投げることもできるというものである


投げられた小石は
空間の中を
未来へと動いてゆく


私の意思を乗せ
小石は未来に放物線を描きながら飛んでゆくのである


こうして私の意思は
次々と未来を変えてゆく


そこで
私は未来と仲間となる


ここにおいて
私は未来を語る資格を得るのであろう

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