ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

思考と実体:今とは?


「今」とは何だろうか?


「善」や「勇気」とは何だろうか?
というわかったようなわからない議論を
ギリシア時代に盛んにおこなわれたらしいけれど
「今」については
どの様な議論がなされて来たのだろう


今のイデアというのがあれば
善のイデアよりも普遍的でありそうだ


さておき

恐竜は生きていないが
恐竜が生きていた時の今には
恐竜は生きていた


今は過去になってゆく


そして
過去となった今には手出しを出来ないが
思い出すことが出来る


たとえば石を投げるというように
今には手出しを出来る


今の行く末である未来に対しては
石を投げるというような予定を作ることが出来る


時間には
現在過去未来しかないとすると
現在は唯一手出しを出来る時間である


そして
唯一知覚できる時間である


過去も未来も直接知覚できない


過去の遺物や書物それに写真などから
過去を推定することはできるが
直接知覚できない


今の状況と因果律を手掛かりに
「ああもうすぐ投げた石がガラスにあたり
 ガラスを壊すだろう」と
未来を予想することが出来るが
それを直接知覚できない


予想を知覚するには
未来が今になるのを待たなければならない


全ては今動いているのであり
過去や未来は動いていない


因果律が発露するのは今この時である


そして発露したとたんに
その発露は過去になる


その過去は
視界から消えてゆく


石を投げている私はいなくなり
やがて
割れたガ石ラスと向かい合う私が現れよう


その間に
飛んでゆく石と
それを眺める私がいる


その石より素早く動き
その石を打ち落とす能力が私に在れば
意思が飛んでいる今ならば
その石がガラスを壊すのを避けれるのだろう


能力は
今において発露される


力がぶつかり合う今が
過去から未来へと流れてゆく


全ての力が
今に降り注いでいるようだ


全ての力が神だとして
もしかしたらの話になるが
「今は神である」ということになるのだろうか?


であれば
今この時に神様に祈るのは道理が通る


今に対して
今祈るのだ


その今が
祈る主体は
祈る対象とともに
思いを共に
未来へと歩いて行くのである


そして何よりも
何の努力にせよ
努力は今にしかできなのである

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