ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

言葉と意識:灯に集うということ


言葉が
意識の中に法を作り
その法面を乗り越えようとする感情や本能を
堰き止めている


そうして
言葉の檻ができあがる


この檻の中で
不自由を感じながら
言葉を愛でる


言葉がもたらす
恩恵を祈り
恩恵に感謝する


文明は
こうして
人の命を明るく照らしている


その灯に
人は集まり
檻の中に納まり
文明の恵みに喜びの歌を歌う


芸術も知識も
言葉の蠢きの中から生まれ
引き継がれて来た灯の中に在る


その灯の中を覗こうとして
人は引き寄せられ
言葉を覚え
それを引き継いでゆく

言葉と意識:永遠の中を生きる意義


死ぬと
桜の花を見ることが出来なくなる


死んだことがないので
上の言葉の真偽を実感したことはないのだが
視覚が生きているがゆえに働いている機能であるならば
死ねば
視覚が機能しなくなり
桜の花も見えなくなることは
必然な出来事である


鏡に映った桜は
鏡が割れると無に帰するのであるが
本物の桜は
鏡が割れようが割れまいがそこに在る


言ってみれば
死ぬと
意識の中に在る本物でない偽の桜が見えなくなるのである


本物は無くならず
偽物がなくなるだけなのである


しかし
私にとって
偽物の桜しかない


この偽物の桜を見るために
私は生きているのである


意識の中を移りゆく
あらゆる偽物を眺め認識するために
私は生きる


ここにおいて
これら偽物に尊厳が付与され
本物として奉る理由と意義が生まれたのだろう


そこで
本物の桜が
雨に打たれて散り去っても
私の記憶の中の桜は
のどかな永遠の中に咲き乱れることが出来るのである


鏡の中の本物が永遠を手にするかのようである


この永遠を
私は欲しがり生きている


死ねば消えるのかもしれない


それでも
そんな永遠しか
私にはなく
それが愛おしい

言葉と意識:「今」に存在する本物


どんなに長く生きて来ようとも
今しかなく
過去は消えてしまった


そして死は
いつでも未来に待ち構えている


だから
どれほど生きてきても
いつでも
死に臨み
残された時間を思うことになる


残された時間を
長いと思ったり
短いと思ったり
ありがたかったり
恨めしかったりする


何十回となく眺めた
春の桜や
秋の紅葉は
これから眺められるだろう
春の桜や
秋の紅葉とは異なるものである


桜や紅葉の記憶や
これらを愛でる言葉の数々は
やはり本物ではなないのである


本物をもう一度見たい


残された時間の長さから
本物の桜や紅葉を観れるかどうかが気にかかる


目に映る景色の中の桜や紅葉も
本物ではなく
光を感じ取った鏡の仕業にもかかわらず
それを本物として眺めたいのである


未来や過去の桜や紅葉ではなく
今の桜や紅葉を眺めたいのである


この「今」に本物が在るのである


あとは偽物である


だから死も偽物である


この偽物に怯え思考を巡らせる


思考は
偽物を囲い
その偽物を愛でるものであるらしい


そして
本物を愛おしく思うものであるらしい