ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

同一性:認識の本質としての同一性


今年の秋も
去年の秋も
同じ「秋」である


この「秋」の同一性は
物事その物の同一性ではなく
認識の同一性だ


物事の本質は
多種多彩であり
一瞬一瞬異なる事象に移り変わっている


これに対して
認識の本質は同一性にあり
さっきの雨も
今の雨も同じ雨であり
去年の秋も
今年の秋も同じ秋として認識する


認識の本質たる同一性のバイアスにより
様々な事象が
同一なものとしてカテゴライズされている


認識の世界では
ありのままの事象は加工され
デジタルに区分けされ存在しているのだ


そうしなければ
ありのままの事象が
言葉にならないのだから仕方がない


そうして言葉になった事象が
演繹や
帰納法として論理になったりするのだから
論理は同一性のバイアスの上に成り立っている
ということになる


そうした論理が基となって生産される工場製品は
どの製品を持っても基本的には同一性が保たれている


逆に
同一でないものは排除されている


このような
認識による同一化にさらされながら
私も生きているらしい


社会で暮らす以上
人々の認識の中で
私は生きてゆかなければならないということだ


だからなのだろう
大自然の中で一人になりたい時がある


ふいに
同一化から解放されたくなるのは
抑圧されている何かが
私の中目覚める時だ

×

非ログインユーザーとして返信する