ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

内部と外部:秩序と無秩序の境界線


義務にがんじがらめになっている内部と
義務から解放されている自由な外部の境界がある


内部の秩序が通用しない外部の様子を
内部からうかがう手段として
感覚器がある


目や耳や鼻から
外部の様子を内部に取り込む


逆に言うと
目や耳や鼻を閉じると
外部の様子が内部に届かなくなる


内部は
常に
外部の無秩序にさらされ
崩壊する危機にさらされている


この危機に対応する義務が
内部にあり
この義務を果たす一環として
感覚器が
外部の様子を取り込んでいる


ある秩序からすれば
別の秩序は無秩序の一環だ


義務の連鎖が
秩序間で滞りなく循環していれば
それは内部関係であり
外部関係ではない


意識と肉体は
同じ身体としての内部関係になるが
若い時のように動かず
足が前に出ず転んでしまったり
若い時のように踏ん張りがきかず
じん帯を切ってしまったりするときには
壱岐市と肉体に外部関係を感じてしまう


思うようにならない自分の肉体


自分の肉体が自分のものではないような感覚に陥る


義務の循環が滞る対象は
外部と認識するようだ


自分の思い通りにならないところがある自然
あるいは他人は外部だ


わからない言葉も外部だ


「言っていることがわかる」という状態は
その範囲で内部関係にある


内部であるのか
外部であるのかが
現象の状態により評価されている


私は様々な秩序の外部であり
別の様々な秩序の内部に属しているつもりでいて
様々な秩序の内部と外部を行き来している


私の意識は
私の身体さえも
時に外部としてしまうのだ

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