ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命と反応:尊厳は自らの秩序を維持する力に基づく


命の尊厳は存在するのではなく
命の尊厳は守るものである


アプリオリなものではなく
アポステリオリなものということ「かもしれない」


「かもしれない」
とつづるのは
命の尊厳がなければ
命も生まれなかったのだろうから
はなから
命の尊厳があったとも解釈しうるからだ


蛇の死骸が道端に放置されていた


この蛇も
生前には
命の尊厳に満ち溢れていたに違いない


その尊厳は
次の世代に引き継がれ
この亡骸には
その尊厳を維持する責務から解放された

解釈してみた


本当は
こんな思考を
食卓の上のビフテキを前に行えなければ
理性的とは言えないのだろう


食卓のビフテキを前にすれば
生命の尊厳という高尚な思考より
食欲という野性的な本能が先に立つ


やはり
生命の尊厳はアポステリオリなのだろうか


いや
食欲という野性の中にも
生命の尊厳が宿っているに違いない


ハーブにもレタスにも
生命の尊厳が宿っている


蛇の亡骸は
やがて土にかえり
植物たちの栄養に利用されるに違いない


物質が生命の間を循環している


生命は
物質を長らく留めさせ
やがて元に還してゆく


いくつもの筋道の循環を
幾重にも重ね
生命が維持されている


この筋道の秩序が
循環に循環を重ねながら
生命の尊厳を高らかに宣言しているよう


蛇には
この秩序を維持する力が潰えたのだろう


自らの循環を奏でずに
為されるがままの循環の中で
分解されている


自らを維持する力が尊厳なのだろう


神にも
自らの秩序を維持する力がある間には
尊厳が光り輝き後光をさすのだろう


私は
自ら秩序を維持していようか
それとも
為されるがままに在るのだろうか

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