ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

自然の朝と観念的な朝


社会は反応の連鎖に満ちている


誰かが何かをすると
それに私が反応する
その反応に
また他の誰かが反応してゆく


反応する対象は
反応である必要はなく
ただそこにある景色でもよい
だから
反応は自然発生し
反応の連鎖は留まるところを知らない


たとえば
お日様が近づくと
空は明るくなり
暗闇に隠れていた物の形が
少しづつ顕わになってくる
この景色を眺め
「ああ、朝が来た」
そう声に出すのも反応だ


声に出さずとも朝は来る
それでも
「朝が来た」と声に出すと
「そうだね」と返ってくる言葉がある
この
「そうだね」は
ただ朝が来ただけでは現れない反応だ
やはり
朝が来たうえで
「朝が来た」と発声しなければ現れない反応だ


こんな反応の連鎖があって
お日様がつれてくる朝の他に
会話がつれてきてくれる朝がやってくる


天体がもたらす朝に合わせて訪れる
社会がもたらす朝が来るのだ


自然発生している朝と
社会的に発生している朝が調和していると
気持ち良い


心地よい社会とは
このように
自然の成り行きと
言葉の反応が
うまく並走している社会と言えるだろう


だからだろう
社会は
社会の外に目を凝らす
自然にも目を凝らす


社会の外に目を凝らすために
社会を取り巻く反応を
時には
遮断しながら
社会の外へと目を凝らす


内向きばかりでは
心地よさを失うことになる


気を付けたい

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