ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

トリプルワールド90


私という意識は
私の身体の全体であるかのような錯覚のなかで活動している


このように
意識と身体が整合した幸せな時もあれば
私という意識は
私の身体とは別物だと思い知らされることもある


たとえば
しびれが切れた時


たとえば
麻酔で体が動かなくなった時


たとえば
録音した自分の声を聞いた時


たとえば
録画された自分の動きを見せられた時


主観が優位な時もあれば
客観が優位な時もあるので
主観中心の世界が意識に広がる時もあれば
客観中心の世界が意識に広がる時もある


同じように
事実が優位な時もあれば
嘘が優位な時もあるので
マラドーナのハンドによるゴールも
正当な得点とみなされた


嘘が創り出す栄光の世界というものも存在する


そこでは
嘘は真実であり
その真実が世界の歯車として活躍している


小さな世界の中で
嘘に嘘を重ねて
嘘を真実と為し世界を動かす
生命の世界は
こんな世界ともいえるのかもしれない


曖昧な嘘と真の境界が揺れ動く世界で
嘘から真ができ
誠から嘘ができあがる


そんな中で
都合の良い真が組み合わさり
真実の世界を力強く構成してゆく
そして
嘘か?真実か?
この問題を
その部分が決するのではなく
それを巻き込む全体が決めてゆく


だから
嘘は真実に生まれ変わる潜在を有している


その潜在をひきだす全体を
いつだって嘘は待ちわびているのだ


「あれは嘘だったのだろう」
「あれは幻だったんだ」
そんな思いに駆られることがある
そんな時
私の意識は
小さな私の身体の中に隠れ
客観の世界から逃れている


恥ずかしくて
穴を掘って隠れたい時がある


穴は私の体の中にあるのだろう


私の意識と私を囲む世間が整合した幸せな時もあれば
私という意識は
私を囲む世間とは別物だと思い知らされることもある


意識と世間が整合した幸せな時を求めて
意識は世間を見回し続けている


世間を巡る旅だ


世間も旅をしているのだろう


行く年も旅人だというのは芭蕉の名言だ

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