ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

石焼き芋の石と芋


地球上の物質は
すべて素粒子からできているので
石焼き芋もその例外ではなく
素粒子でできている


芋を焼くための石も
焼かれる芋も
どちらも素粒子でできている


にもかかわらず
石は食べれず
焼き芋はおいしく食べられる


個人的には
焼き芋は
胸が焼けるので苦手ではあるけれど
何とかすこしは食べられる
けれど
石はどうやっても食べれない


石も
焼き芋も
同じ素粒子なのに
片方は「食べれる」
もう一方は「食べれない」という
おおきな違いがある


この違いは
素材の違いではない


素粒子の組み合わせの問題だ


まず
素粒子から
原子が構成されるレベルで
大きな分かれ目がある


さらに
この原子から分子ができるレベルにも
大きな分かれ目がある


このような分かれ目がいくつもある中で
食べられる焼き芋と
食べれない石が存在しているのだが
焼き芋を構成している素粒子も
石を構成している素粒子も
同じものであるというのは
出来上がっている
石や焼き芋からは想像もできない


「食べれる」「食べれない」というのは
実に大きな違いと感じてしまうからだ


まあ
同じ素材を使っても
おいしい料理になることも
まずい料理になることもあるのだから
同じ素粒子を使っても
おいしい物質になったり
まずい物質になったりすることは
さして不思議はないのかもしれない


石を消化できれば
無駄な殺生をしなくても良いのだけれど
地球上には
石ころの方が多くて
芋のようにおいしいものが少なくて困る


「石が食べれればいいのに」と困っていても
お腹がすいてしまうので
地球の上で食える素粒子を
一生懸命探して手に入れようと日々頑張るしかない


自分が頑張るだけではない


共に生きている
周りの命の頑張りもとても大事だ


スーパーにおいしい食べられるものが
所狭しと並んでいるからありがたい


むろん
同じ社会を営む人々に感謝しなければならないけれど
まずは
植物たちに感謝しなければならないだろう


太陽の光という素粒子の素材を
上手に日々お料理してくれているのは
植物たちだ


植物が一斉になくなったら
石油が枯渇するよりも大変なことになる


毎日毎日
おいしいお料理をありがとう

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