ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

孤独なコギトが芳醇な夢を見る


我思う故に我在り、という


「思う」ことで存在する「我」を
コギトというのだが
このコギトは
「思う」ことで現れるので
「伝える」ことでは現れてはくれないらしい


「我」は
物の名前やその使い方と違って
「伝えられ」て記憶しているのではなく
「思う」対象に先んじて存在している


ここに
コギトの孤独がある


「思う」対象を
孤独のまま待ち構えているからだ


神様や仏様は
「伝える」ことで現れてくれたりもするものだから
「伝え合い」「語り合う」ことで
多くの人々の間を渡り歩くこともできるのだろうけれど
コギトは
「思う」という閉鎖的な行為に起因するので
閉鎖的な囲いの中でしか存在できない


この孤独がさみしくて
コギトを言葉にして発してみたりするのだけれど
独りで発した言葉は
どうしても「思う」対象であり
「伝えられた」対象ではないから
独り話しても
孤独を晴らせない


そんなものだから
「語り合い」「伝え合う」ことができる
神様や仏様に
コギトは救いを求めるのかもしれない


しきたりや
物語や
科学的な発見や
幾何学的表現といった
開放的な記号たちとのつながりを求め
コギトはあくせくと
努力を重ねてゆく


そして
このような開放的な「伝えられた」言葉たちと
つながりを求めながら「思う」を繰り返し
孤独から逃れようと
コギトは芳醇な夢を見る


芳醇な夢は
外側を取り繕う筋肉や感覚器とは仲が良いのだけれど
内側の奥底にある内臓との関係は微妙なところがある


腐れ縁になっている
内臓との切っても切れない微妙な関係が
芳醇な夢の背景を描いてくれている


意識世界の形而上のひとつとして内臓が存在している

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