対応世界:技術の進化
観察する時は
現実の動きを言葉に移しかえ
実践する時は
言葉を現実の動きに移しかえる
このように
観察においては
言葉は後置され
実践においては
言葉は前置される
前置されたものから
拘置されたものへの変換においては
技術力が試される
観察においては
「絵にもかけない美しさ」ではないけれど
言語表現の限界を超えてゆく技術が試され
実践においては
凡人にはできない超人業が喝さいを浴びたりする
それでも
技術には限度があるので
語り得ぬものに対しては沈黙しなければならず
実践しえぬ言葉は虚偽としなければならない
水の分子をH₂Oと表記したりするけど
水を見ても
なぜH₂Oなのかを直感できない
なぜH₃Oではないのか
H₄Oは無いのか?
やはり
技術は
技術の枠の内部で議論しなければならないし
言葉も
言葉を操る技術の枠内で議論しなければならない
情報は変換技術ににより成り立つ世界で
変換元に依拠した存在である
もし
現実に依拠した情報が言葉であるならば
言葉は現実により淘汰選択されねばならず
言葉に依拠した情報が現実ならば
現実は言葉により淘汰選択されねばならない
、ということになる
淘汰選択された枠の中に
技術があるのであり
枠の外の技術は枠の中では障害になりかねない
だからなのだろう
言葉は現実を忌避したがることがある