ルアーなお金たち、言葉たち、命たち

砂上の楼閣を上手に維持する共役反応の数々に感謝です。ルアーは反応の連鎖の象徴です。

生命力:適材適所の功罪


トイレに入り考え事をした


考え事といっても
白日夢のようなもので
着飾った人々が
歩道を埋め尽くす光景を眺めていた


なぜ人は着飾るのだろう?


その時
突如として
我に返ると
パンツを膝の辺までずり降ろし
便座に座っていた


その姿を客観的に見つめていると
服は人前でみられるときに美しくなるように設計され
便座に座る時を前提には作られていないという
ごく当たり前のことに思いをは去るに至った


確かに
便座に座るときに美しい服など
あったとしても売れないだろう


しかし
誰もがトイレに行く


だから
便座に座ることが全く配慮されていないかというと
そうではない


用を足す時
服が邪魔にならない配慮がないと不便で仕方がない


それでも
便座に座るとき不便来ぬ得ないが
豪華で美しい服が懸命に作り上げられ
高額で取引されたりする


人前で見られるときの美しさを重視するのか
用を足す時の便利さを重視するのかで
服のデザインは変わってくるに違いない


生命は動きの中にあり
様々な状況の中を生き続ける必要があるので
服のデザインのように
どの状況を優先するかで
生命のデザインは変わってくる


私の生活も
朝を重視するのか
昼を重視するのか
夜を重視するのかで変わってくる


しかし
重視しない状況を無視するわけにはいかないから
寝てばかりもいられないし
働いてばかりもいられない


遊んでばかりいても
遊び疲れて飽きてしまう


私が私であり続けるということは
様々な状況をやり過ごすことであり
確固たる私を誇示し続けることではないのだろう


あらゆる状況に対応できれば私は私を維持できるだろう


しかし
わたしは
私がハエになった状況でも生き続けなければならぬだろうか?


ゴキブリになった状況でも生き続ける為に
ゴキブリの生活環境への配慮をしなければならないだろうか?


私は
人間の標準の中で暮らしている


この暮らしを基準としているので
この標準から外れた状況は想定している


想定していないことには配慮も何もない


容赦ない攻撃を
ハエやゴキブリに仕掛けても
何の違和感も罪悪感もわいてこない


美しい服で便座に座る人には配慮するけれど
ハエやゴキブリの命には配慮しないのだ


不適切な組み合わせは
状況の変化の中でいくらでも現れる


きれいに掃除をしている場所に
いてはいけないはずのハエやゴキブリも
生き続けている


トイレ中に隠れて便座居座るように
こそこそと隠れながらその生を紡いでいるのだろう


トイレの中でこそこそを隠れて便座に座る
この習慣が
隠れてこそこそ悪いことをする習慣を助長してはいないだろうか?


悪いことは
隠れてするものだと
心の奥底に刻み続けてはいないだろうか?


猫は堂々と用を足している


表を維持するために
裏で隠れてこそこそするのが
人間らしさということだろうか?


この裏を作る戦略は
様々な状況をかいくぐるために進化させてきた
生命力の一つであろう


残忍さを隠し持ち
いざという状況で思う存分発揮するのも生きる戦略だ


トイレの個室の中で考えた

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